Endorfin. 7th Mini Album Stories of Eveの感想
2019年秋M3にて販売されたEndorfin. 7th Album Stories of Eveの雑感です。
季節シリーズの最後を飾るアルバム! 舞台は冬! でもこれ書いているのは4月! あれ...
4曲収録(インスト除く)でそのうち「M:routine」と「終点前」の2曲が新曲。これが衝撃的で今までのえんどるにはなかった表現だったのでは...と。冬らしいメルヘンチックな曲から、雪が降り積もるようにじーんと重くのしかかってくる曲まで、バリエーションに富んだお二人の表現力がいかんなく発揮されています。
冬をテーマに、クリスマス・イブを過ごす少女たちの心情を歌ったミニアルバム 聖夜に息づく、それぞれの物語___
1. M:routine
全体2分という短い曲。これまでも「一粒ノ今」や[kaleidoscope]といった小曲はありましたが、ボーカル付きでこうした曲をアルバムの始めに入れたのはこれが初かな?その後のアルバムであるHorizon Claireでも「残光」という小曲をイントロダクションに入れていましたね。でもここでは「残光」のようなアルバム全体のモチーフを描き出すのではなく、あくまで少女たちの一人の他愛のないモーニング・ルーティンを描き出しています。作曲のデルタさんの仰るように、「冬の朝、布団にくるまって聴いてほしいです(目覚ましにするもよし)」ですね。起きれなさそうですが。
Endorfin.ではたまに見かける3拍子!例えば「コトノハ」は3拍子で貫かれていますね。「リフレクション」ではBメロの一部が3拍子と中々アクロバティックなことをしてきます。非えんどる曲ですが、「Deep End」(Sennzaiさん歌唱)も3拍子かな。あと「鏡像のカノン」(nayutaさん歌唱)のBメロサビとか3拍子の曲って日本人にとって難しいとか何とか言われますが、今挙げたどの曲もクオリティが高いんですよね。
そして編曲のセンスが抜群に高い!目覚ましの電子音で曲がスタートし、ところどころ打楽器の音がアクセントとして、曲に重奏感と可愛らしさを演出する、まさしくRaindrop Caffé Latteのように情景描写がピカイチなんですよ。それでいて破綻なく無駄なく2分に収める、こうした小曲をどんどん作ってほしいですね(願望)サビ部分のピアノの伴奏の旋律を構成するイ長調の和音が変化していくのも、メルヘンチックでよき
さて歌詞内容は起床→朝ごはんというまさにルーティン。「さあ 朝のルーティン」伸びやかななくるさんの歌声が印象的ですね。そしてこの主人公の心情を代弁するのは「切なく優しいポタージュ」と「きらきら光るスノードーム」。前者はポタージュの温かさが胸に染み込む一方、どこかクリスマスという「愛があふれるこんな季節」に対する現実感のなさ、それが切なさの原因なのでしょうね。後者の「スノードーム」には逆にこの主人公がその中身に対して想いを託しているようにおもえます。スノードームの中身は人形や建物、一種の理想化された「箱庭」であり、どこかその別世界に対し自分の生活を擬えるように見つめているのかなと思います。
アルバムのイラストはスノードームの中で兎と白紙の本を読む女の子。スノードームという舞台装置が見せるものとは...
2. white night story
pop'n musicに収録されていた曲ですね。full.ver公開まで結構時間かかりましたね。楽しみにしていた曲の一つです。
The クリスマス!って感じの曲です。跳ねるようなピチカートがクリスマスの夜って感じですね(意味不明)えんどるの音ゲー楽曲の中でもとびっきり明るくて可愛らしい曲になっています。音ゲー収録時よりもサウンドがよりクリアになっています。
この曲の最大の魅力はBメロですね。Endorfin.の楽曲をみるとBメロがいい役割を果たしているんですよね。思わずクラップを入れたくなるような軽快なメロディー、2番Bメロではグリッサンドが新たなアクセントとなっています。それとは対照的に「Tell me your wish」と高音響き渡るサビ、このコントラストとそれぞれ可愛らしく表現するなくるさん。本当に素敵なんですよね。
さて歌詞内容について、大まかな枠組みについてはEndorfin.のお二人が説明されています。
ここで「つららちゃんのイメージ楽曲ということで、舞台はクリスマスイブの夜の星空、賑わう街のはるか上空に一人。若干の寂しさを覚えつつも、好きな人のことを想いながら世界中に幸せを届けて回るサンタ見習いの女の子。そんなイメージで制作しました」とありますが、もう余すところなく歌詞に詰め込まれていますね。若干の寂しさとありますが、1番2番Aメロで如実に表しつつも、「かけがえのない わたしだけの場所」と言い切るあたりサンタ見習いという特別な地位を表してるのかな。普段のえんどるでは考えられないほど強いですねこれ。「どんな夢もわたしが叶えるよ」ってねえ
Stories of Eveの原型となった曲かなと思います。前に作られた曲を音ゲーという文脈から離れて、新たなアルバムのコンセプトに落とし込むという器用さはやっぱりすごいですね(Alt.Stratoにおけるfour leaves等既存2曲もアルバムコンセプトにぴったりでしたね!)
Endorfin.史上一番メルヘンでとびっきり明るい曲です!
3. ガラスアゲハ
「Nacollection!! 2」にて9曲目に収録された曲。Vocal、作詞はなくるさん名義。ちょうど2年前の冬に公開され、去年2019年のなごりんLiveでも披露されましたね。耽美で神秘的な曲です。ポップスかロック、EDM系統の楽曲が中心のえんどるの中では一際異彩を放っています。
なこれ2の時よりもオケ感?(重層感)が増してバックミュージックがクリアに聴こえるようになってのかな。Stories of Eve ver.の方が好きですね。ストリングスとピアノをベースにシックな曲になっています。サウンドが一つ一つ緻密に構成されていて、ほよ〜(驚嘆)って感じです。
ちょうちょをモチーフとした曲自体は「monochrome butterfly」とか「ユリシス」とかありますね。前者は女の子!って感じで、後者は結構悲愴的で象徴的に「蝶」が描かれているって感じですけど。ガラスアゲハは割と「ガラスアゲハ」という存在に対して細かく緻密に語る反面、結局それは何を表象しているのかが漠然としていて、この「私」とは何なのか...
まず1番でガラスアゲハのモチーフが呈示されます。
「知らず知らず 剥がれる憧憬 まき散らして」とは何を指しているのでしょうか。まき散らす主体はBメロの「ひらり舞う 華やかな鱗粉」を考慮するとガラスアゲハそのものですが、憧憬とは何の何に対する憧れなんですかね。「完璧なものの美しさに焦がれる」というBメロのフレーズがリンクすると思いますが、考えられる憧れの方向性として
・人間(私を含む)→ガラスアゲハ(orそれが象徴する概念)
・ガラスアゲハ→他者、何らかの観念
となるのかな。前者はガラスアゲハと私とを分離する方向性で、後者はガラスアゲハが仮託された私と見る方向性に近づきますね。その後の「行かないで」という台詞パートも上記の解釈によって視点が揺らぐことになります。
「自由を求めて彷徨うガラスアゲハ 無色透明な鎧をはためかせても 柔らかい翅は全てを包み込んで 受け入れるから 心の奥深くまで塞いで」
という1番サビはラスサビでも繰り返されますが、ここもまた解釈の余地が分かれるところであります。「無色透明な鎧」という堅牢さを印象付ける表現ですが、要素的にもガラスアゲハであるのは確定です。しかし、その後の「柔らかい翅」までガラスアゲハを対象とするのは早計です。
まず、鎧というモチーフと柔らかいという表現は相反すること、次にはためかせる鎧ということからこれ自体翅であり、その後に同じ表現をだぶらせる必要はないこと、「はためかせても」という譲歩表現の後も同じ主体(ガラスアゲハ)だとちぐはぐとした文面になることから、切り離して考える方がわかりやすいです。しかし、「翅」はあくまで蝶一般のことを指している以上、そのまま人間がガラスアゲハを仕留めて包み込んだという解釈は難しそうです。
さらに第一このアルバムのコンセプトがクリスマス・イブを過ごす少女たちの心情としている以上、この曲についても主体は人間であると考えるのが合理的です。すると「monochrome butterfly」の時のような女の子がイメージとしては一番しっくりくるのではないのでしょうか*1
完璧なものに対する憧れ、自分のものにするためガラスアゲハを仕留めた...というのが1番の流れですかね。「自由を求めて彷徨う」という表現とも一致しますね。
2番でも「綺麗なまま仕留めて 移り気なショーケースへ」とより如実に上述の展開を踏まえ、かつガラスアゲハが「標本」となったことを示唆します。2番サビで出てくる「針」からも連想できます。「見上げる瞳には何も映らない」とは一種の憧れのように映った、ガラスアゲハの消失を意味し、あたかも幻だったかのようにその美しさが剥がれ落ち亡くなってしまったことを示唆します。
そして2番サビは1番とは全く違う趣になっています。
「涙を忘れる事に意味がなくとも 耐えられるから 光に透かして魅せて」という部分ですが、明らかに人間を主体としています。ガラスアゲハの体躯を如実に表す1番サビとは真逆です。哀しみそのものの感情を失うということでしょうか。「光に透かして魅せて」という文言からはガラスアゲハの存在が見え隠れします。「魅せて」となっているのも示唆的でガラスアゲハを見る側が主体となっています。
「見えないその距離は針が決めたもの」はピンで刺され標本となりショーケースという絶対的な仕切りを引かれてしまったガラスアゲハとそれを見る主体との距離を指しているのかな。
非常に茫漠とした内容ですが、これまであたかも第三者目線で語られていた中で最後に「目には見えない私を 見つけてくれた 君だけ」と「私」と「君」という登場人物が現れます。
素直に解釈すれば「目には見えない私」ということから透明で見えない私=ガラスアゲハと比定されましょう。前述の憧れの方向性における ガラスアゲハ→他者(君)とし、ガラスアゲハに私を仮託する見方に通じそうです。
しかし一方で1番サビなどのモチーフから人間(私を含む)→ガラスアゲハとして語られてきたのであり、統一性を重視すると「目には見えない私」という文言の意味がガラスという比喩とは異なる方向になります。むしろ鏡のようにガラスアゲハが私の姿を映し出したという話になります。
結局ガラスアゲハを自分と捉えるか、君と捉えるか、視点をガラスアゲハとするのか否かで世界観がかなり異なります。その揺らぎは具体的にガラスアゲハを仕留めた意義で表出することとなり、
・完璧なものの美しさに焦がれ仕留め上げてしまったストーリー
・何者かに仕留められて標本にされてしまい君と永遠に分断されてしまったストーリー
となるのかな。
鏡のように見るものによって姿を変える、そんな曲のように思えます。
なくるさん作詞ということで、Endorfin.の中では少ない作詞が分かってる曲ですので割と詳し目に書きました。ところで「行かないで」の部分切なそうで官能的でめっちゃ好きです
4. 終点前
ラストを飾る一曲。曲調的に最初聴いたときはえんどるらしくないなと思っていました。えんどる特有のあの爽やかさや疾走感はなく、ロック方面ですと「リフレクション」がありましたが、それとは全く違う重々しいギターサウンドが雪の様にのしかかっていく、そんな曲です。
とはいえ聴けば聴くほどこの曲の世界観に引き込まれていく、そして歌詞の内容はまさに王道Endorfin.を体現したもので、この曲が一番好きです。間違いなく。
この曲の特徴は変拍子にあります。Aメロは4拍子、Bメロサビは6拍子、Cメロは9拍子?、とやりたい放題って感じです。変拍子は割とデルタさん作曲にありがち(前述M: routine参照)だけど、ここまでやるとすごいですね... それでいて楽曲としては全く違和感なく成立しているのがいいです。ロ長調からト長調への転調もまたえんどるらしくて好きです。
そしてなくるさんの低音Voが非常に綺麗です。ビブラートもブレスの切り方も素敵ですね。可愛い声もちょっと大人っぽい声もだせるのって本当に器用だと思います。なくるさんの歌声の魅力ってこういった部分に集約されているんですよ。高級なチョコレートを口に転がした時、あの深みのある甘さ、繊細な柔らかさ、カカオのほろ苦い風味と同じ様に。だからなくるさんのどの曲にも不思議な深みがある(多分ブレスが大きいのだと思う)。初期の曲である「Lovin' me」にも、ちょっと浮ついて音程とれてない感はあるけど、なぜか一つ一つの歌声が質感をもって表現している。「ジョーカー・パレード」や「フェイク」のような大人っぽいカッコイイ曲も、「その名はRendezvous」や「Raindrop Caffé Latte」のような可愛い曲も、「君よ」のように熱情的な曲も、「Nier monochrome」のように切なさと幻想性が備わった曲も、何の小細工もなく深みのある歌声で伸びやかに表現できる、天賦の才だと思います。
そして全く押し付けがましくないんですよね。感情的でなくて、歌詞を丁寧に染め上げていく様に歌っている感じです。だから自然と聴く人の琴線に触れて色んな感情を抱かせられるのかな。
話を戻して「終点前」歌詞についてはEndorfin.らしい恋のもどかしさを綴った曲です。Alt.Stratoのテーマとも似ていますね。でもどこかAlt.Stratoの曲群は回顧的な要素を含みますが、この「終点前」は恋が現在進行形で表現されています。
特に引き合いに出されるモチーフについて述べていきます。
最初の「二年後なんてまだずっと先のことだと思っていた あの日と同じ景色 仄暗い道の途中」とはどうやらこのクリスマス・イブが3度目であることを示唆します。このお話の主人公は高校生かな? 伝えそびれたまま2年の時が経過して最後のクリスマスへ、そんなことが想起されます。
なおこの曲の2年前である2017年冬は、なこれ2が発表された時ですね。確かEndorfin.秋M3に新作が間に合わなかったんだっけ?
「刻まれてく 別れのカウントダウン 神様は残酷だ」という1番Aメロの歌詞からも分かる通り、我々にはなすすべもない運命を与える存在として「神様」が現れます。これは「春風ファンタジア」でも見られる表現ですが、敵役として出てくるんですよね。セカイ系らしいなと思うのは私だけかな。
さらに2番Bメロでは気になる表現があります。
「いつか映画で見た『全てのものはいつか終わりがくるから美しい』なんて 観測者の戯言」
これ、Endorfin.の由来なんですよね。(End of fin) それを作品の裏側から穿ったようになっています。確かに終わりがあるからこそ今が尊く思える、精一杯生きていこうと思える、えんどるの背後にあるのもまさにそれなんですが、もう二度とないチャンスを前にその終わりを惜しむこの曲の主人公からしたら、本当に戯言、綺麗事なんですよね。「観測者」というのも、えんどるの由来というメタ的な要素だと暴露しています。
サビの歌詞は報われない恋の辛さが直截に歌われています。
「君の好きな音楽も お気に入りの服も 好きな人も 恋の痛みも 全部知ってるのに 未来のことだけは まだ何もわからないまま」
相手の趣味嗜好をすべて把握していたとしても未来はわからない、音楽や服など非常に具体的に描かれ知っている分、未来はわからないことが恋のもどかしさを加速させます。
終わりが訪れて欲しくないという切実な心情とは裏腹にどうすることもできないもどかしさ。それが「笑うたびに辛くて ああ いっそ嫌われてしまえるなら」と自暴自棄になったり、「もしも許されるなら 世界の果てまで」と願望を抱く、でも非情な現実は痛いほどわかっていて、叶わないことはわかっていて。寄る辺のない思いを募らせながら、電車は「僕らを終点へと運んでいく」 終点前、きっと数分にも満たないモーメントをうまく切り出しているなと感じます。
Endorfin.の一つの旅路の果てともいうべきアルバムがこの次に出ました。8th Album「Horizon Claire」はもしかしたら終点「前」を踏まえたのかもしれません。
総括
「聖夜に息づく、それぞれの物語」がテーマですが、確かにそれぞれ別個のストーリーが短編集のように編まれています。
最後に、「スノードーム」とその中で兎と白紙の本を読む女の子は一体何なのかという問題があります。ここからは完全に憶測ですが、2019 Endorfin.というタイトルのスノードームから察するに、「Stories of Eve (イブのお話)がスノードームという舞台装置の中に描かれ、観測者たる我々視聴者が一つ一つ並べられたスノードームを眺め、その理想化された世界に思いを馳せる」ということではないのでしょうか。そのスノードームの製作者としてのEndorfin.ということで。
でも一体この女の子は何者でしょうか。ストーリーテラーなのか、もしくはこのスノードームの中のお話の主人公なのか...
割と自由に書きましたが、ここらにします! 本当にEndorfin.の楽曲は一つ一つ丁寧で大好きです。ほよ〜〜〜〜〜〜〜