現代吟遊詩人はかく語りき~角巻わため「my song」~
「僕だけの滑走路」-「角巻わため」の五文字が、夢と現実のあわいに走る。深夜0時の帳を裂き煌々と照るビル一角の明かりをかこつ、夢にあこがれ夢に挑み夢に破れ、それでもまた夢を見る者たち。
さあ都会の吟遊詩人、各々の叙事詩を紡ぎ取れ。名もなき無名詩人の為に。現代におのが名を刻む為に。

1. 現代吟遊詩人は電気羊の夢を見るか?
手にしたもの以外が綺麗に見えた
「どうせこんなもんか」が口癖だったうすら笑いばっかが得意になった
けど一番笑えるのはこのプライドだ
きっとどこかで燻っている、あれはほまれ高き青春時代。いつしか口ずさんでいたセリフすら、意識から抜け落ち埃かぶって打ち捨てられる。
過去の自分が問いかけてくる。「どうせこんなもんか、ですまされるのか?」夢の世界に置いてきたマッチ箱を擦るタイミングをうかがっている。
一生懸命なんか全部無駄だったんだ
ああもう嫌になった
「逃げたくない」って聞こえた、これは僕の声?
過去の自分が問いかける。くじけそうになる自分を鼓舞するために。無意識の声がつっかえそうになる時、ぼくらは気づく。「夢を追うことは、存在者の宿命なのだ」と。恋を高らかに謡うおとぎ話の田舎ミンネジンガーは、もういない。現代吟遊詩人はcogitoと夢の論理的不能の存在証明を謡う。cogitoですらこの街では所与のものではないのだから。
1回10回100回1000回挑戦を続けるよ
まだ足りないって思ってる やまない雨の中
ずっと考えて考えて考えて見つけ出せ
僕だけの滑走路を証明したいんだよな、そうだろう?そうだろう?

なんのために人は歌を歌う?、なんのために人は詩を作る?なんのために生き、なんのために死んでいく?何度考えたって、答えなんか出やしない、分かったところでなんの意味がある?夢だって同じだ。なんのために追いかける?なんのために1回10回100回1000回挑戦を続ける?そんな打算の反復をしたって世界は変わらないのに。誰かの夢が打ち砕かれたって、この世界はなにも変わらないのに。
だが夢を現実に投擲する、その1回1回の反復を行う主体にとっては、まったく別物である。ちょうど何気ない日常が、2/1と2/2の風景が違うように。微妙に移り変わる無意識とともに、現実に向けて賽を振る。いつか現実に裂け目を生み出し、そこから夢を引っ張り出す。幾多の挫折を繰り返し、後ろ指さされようとも大人になり切れていないと蔑まれようとも、夢をかなえたいがため、歌い続ける。
歌うことは思想である、夢を追うことは宿命である。思想を失った人間に何があろう?人生というパノラマに、自由に歌える空き地のない人間は、不幸である。歌うこともできなければ、あの歌声も聞こえないのだから。
傷を貰った現代吟遊詩人は、あの空き地に導かれる。生まれては消えていく無数の夢が目の前を過ぎり、その刹那、彼女の歌声が聞こえてくる。気づいてしまうのだ。胸の中には燻り続ける衝動を、手にはいつか忘れたマッチ箱が握りしめられていることを。
2.Ma blessure existait avant moi, je suis ne pour l'incarner.
生まれるより前に賽は投げられている。理不尽であれ何であれ、それが存在者の宿命である。存在者の頭上には宿命が操る見えないピアノ線が垂れており、その宿命に向かい歩まされる。存在者は存在者となり、傷は傷となり、CogitoはCogitoとなる。存在の証明、自らの抱える小宇宙の核心。
焦り上がる心拍数に嘘つくように
自分を落ち着ける 皮肉は要らない
それを高揚感に置き換えたらさ
今日もまた挑むべきハードルがほら見えただろう?葛藤の隙間で錆びない声明をひねり出せるか
出ないのならとっくに諦めてるよ
いくら現実の忙しさで糊塗したって、落ち着けたって、この胸の高鳴りを気にしないふりなんてできない。ああそうさ、この高鳴りは生まれるより前にできた「傷」、宿命なんだと。宿命と戯れに似た死闘を演じる、現実と夢の狭間でもがき苦しみ、今か今かと待っているはずの夢に向かって、ひたすらに賽を投げる。
渾身の信念で歌ったって届くわけじゃない
素晴らしいくらい僕らの現実は残酷だ
曖昧を削り取って尖らせてまた歌って
諦める理由なら過去に捨ててきた
「夢を追うこと」「存在者の存在証明」「夢と現実との葛藤」何をどう見てもその行為単体は、決して現実を変えることができない。街のビル風とともに、ただ吹き流されて何処かへ去ってしまう。現実は残酷だ、都会は残酷だ。みなが孤独で、孤独を背負い出生し、都会のどこか片隅に孤独のうちに消えていく。思い出すこともない歌、人間、出来事、生きるために捨ててきた夢、ぼくらが無数に捨ててきたガラクタと引き換えに、街はあれだけきれいな明かりを保ち、生きている。そんな街で、渾身の信念で歌ってもなんの意味があるのだろう。
それでもなお、夢を追い、存在証明という宿命を果たさんがため、現実と格闘することに、丸腰の現代吟遊詩人の尊厳がある。言葉をナイフのように尖らせ、一点の曇りなき想いを残酷なる現実にぶつけ、やるせなさだけ残して砕け散ってゆく。ビル群に区画された薄曇りの空の果てには、都会の喧騒にかき消された無数の小さな星々が輝いている。そう、彼らの尊厳は思い出させてくれるのだ。

乾いた空き地に一つの叙事詩が響く。瞬く間にある人の叙事詩を喚起し、またある人へ。現実生活からも疎外されたこの場所で、愛していたかった記憶と思い出のかずかずが、歌という思想の奔流によって甦ってゆく。
さあ、マッチ箱を手に取り仄暗い世界現実を照らせ。世界から残酷なる幻影を削り取り打ちはらえ。無意識の中に格納されてしまった、あの日の夢を思い出せ。その時ぼくらは、夢と現実の境界線を目撃する。
3. my song とは何であったか?
愛してたいよ 愛してたいよ
立ち止まる度に 進みたがる脚を
まだ行こう もっと行こう
小さくて頼りなくて不安定な歩幅が
繋がって歌になる 僕を聴いてくれ!
「夢と現実の境界線」を自由に行き来し、宿命を宿命たらしめ受肉すること、それが現代吟遊詩人の本懐であることに気づく。my song が奏でる叙事詩がもつ意義にたどり着くためには、御することのできない現実を映しとる必要があった。絶え間ない砲撃の間隙で、生と幸福の意義を書き記すことのできたあの哲学者、万能たる宇宙と脆弱たる人間との対比に、人間の領分を見出したあの数学者のように。「愛してたいよ」その言葉にmy songのすべてが託される。その言葉を叫ぶことで、世界が、一切が塗り替わる。
宿命に向かって投擲された無数の賽が、思想というファブリックたる歌となる。分割不可能な人間の存在意思の塊。夢と現実のあわいの中で見出した奇跡、幸福な生を。

1回10回100回1000回挑戦を続けるよ
まだ足りないって思ってる やまない雨の中
ずっと考えて考えて考えて見つけ出せ
僕だけの栄光路を証明したいんだよな
もし辿り着いたなら 誇っていいかな
栄光路を証明した先にあるもの、それこそ夢描いた自分自身。自分自身が、過去でも未来でもない自分自身へとたどり着く。
角巻わためは角巻わためを夢を見る。忘却のかなたに咲く路傍の煤けた花々を手折ったbouquet、角巻わためはその一輪であり、花々が夢見るすべてである。
独我論的な叙事詩であるが故に、my songはぼくらのmy song足りえる。
「一人に極まれば万人に通ず」my song はその思想そのもの。
きっと、角巻わためは、現代に甦った吟遊詩人なのでしょう。
