目でも味でも人々を楽しませた「森の魔女カフェ」8年間の仕事に敬意を示し、そして6月の新たなる出立を祝すため、これを書き残します。
閉店の知らせを聞いたのは4月9日のことでした。
お客様各位
— 森の魔女カフェ (@majyocafe) 2024年4月9日
2024年4月30日をもちまして森の魔女カフェは閉店させていただく事となりました。
8年間何度も足を運んでいただいたお客様、遠方より来店していただいたお客様、魔女カフェを愛してくださった全てのお客様に、心より感謝致します。… pic.twitter.com/Iem6tNyznu
1年半前、東京から何時間かかけてたどり着いたお店。「色づく世界の明日から」のまほうやの原型(モデル)となったお店は、長崎市街地からは遠く遠く離れていまして、どうしても足が届かず、最初に訪れたのは、放映から4年も経った頃、雲一つない晴天の日でした。
飛行機とバスとタクシーを乗り継いでお店の中に入れば、そこはまほうや、、、と思いきや、オーナーの拘りを感じさせる調度品が所せましと飾られた、こじんまりとした一つのカフェでした。まさにこの神秘的でどこか懐かしい空間こそが、「色づく」の世界に一つの色彩(インスピレーションといってもいいでしょう。)をあたえたことを、お店の玄関口、来客を告げる扉のベルが鳴った瞬間に、理解できたものでした。
初めて訪れた時から、非常に記憶に焼き付いているお店であり、閉店の知らせを聞いてGW前には行かねばと思い、4月22日、雨が降り霧が霞む中、森の魔女カフェを再訪しました。
もうそろそろで、Googleマップからも消え、また別のヴィラへと変貌していることでしょう。消えゆくものに抗う術はただ一つ、「記録すること」であることから、このブログに訪問記を残しておきます。読み返せばそこには、一つのささやかな思い出が佇んでいることを願ってます。
(店内から外を見る、まるで時間が止まったかのよう。)
「森の魔女カフェ」は長崎市西海町の切り開いた山際にありまして、一番楽な行き方は車でしょう。しかし、駐車場はかなり狭く数台しか置けるスペースがないので、どうも予約しないと難しそうな雰囲気はあります。
2022年に訪れた1回目もこの2回目の来訪も、バスとタクシーを使って行きました。
1回目:長崎空港→フェリーで時津港→バス(琴海ニュータウン行き)で「西海」→琴海タクシーを手配して目的地。
2回目:浜町アーケード→バスで(琴海ニュータウン行き)で「西海」→琴海タクシーを手配して目的地。
地理的には時津からの方が圧倒的に近いのですが、空港からフェリーでそれなりに時間がかかるので、両方とも体感としてはあまり変わらないところです。いずれにせよ、麓である西海町まで、空港からも長崎市街地からも1時間はかかるので、食べて市街地まで帰るとすると、お昼過ぎまで時間が食われます。
あと、割と幹線道路が渋滞していることが多いので、時刻表よりも体感10~15分ほど遅れる印象です。
(時津港フェリー乗り場)
そのようなわけで、そもそも辿り着くまでが大変な場所にあるのですが、魔女カフェから見える景色は絶景で、大村湾の入り組んだ内海を見渡せる最高のロケーションにあり、眼下には畑が広がり、ここが鬱蒼とした山の中腹にあることを忘れさせるような、琴海の美しい海辺を借景とした「別世界」のように佇んでいて、行くだけでも価値のある場所となっています。
(2回目の来訪時、生憎の雨模様)
(晴天時は大村湾の対岸まで一望できる。紺碧に輝くこの内海は、観光地から眺める長崎湾とはまた異なる趣がある。閉店しても、この景色はずっと変わらないだろう。)
(月白家のバルコニーのモデル。思ったよりもこじんまりとしている。)
ご飯の方ですが、コース料理(要予約)か単品か、カレーライスかスパゲッティかを選べます。Googleのレビューを見るに、大半がカレーライスのコースか単品かを選んでいるようですが、平日でも混雑していますので、予約してコース料理を頼むのが安全そうです。
私も2回ともカレーライスを頼みましたが、大皿プレートに盛り付けられたカレーは見た目大盛に見えますが、そこまで重くなくペロリといけます。無水カレー(?)だからでしょうか、素材が凝縮されたような口触りで、味はスパイスもあってやや独特。それがお店の雰囲気に大変マッチしていて気に入ってました。また何回か行けたら他の料理も楽しめたらよかったのに。
他のコース料理も、落ち着いた感じのものでどこか懐かしい味。それでいて1,870円ですから非常にリーズナブルでした。
1回目に来たときは「交流ノート」が置かれてたものの、2回目に来たときには見当たらず。このノートも何年分かの厚みのあるもので、2022年に来たときにはすでにvol3。わたしも少々メッセージを残しておきました。
(「またいつか」がこんなに早く来るとは思わなかった。)
デザートが来て、最後の一口に近づくと、もうここで素敵な料理を楽しめることはないという事実がはっきりと目の前に示され、名残惜しさを感じながら、最後の時間を過ごしていました。
(左はきゃりーさんのサインと写真。台に置かれているのは『色づく長崎の聖地から』という同人誌? 2022年にはおいてなかったと思うので、最近置いたのかな。どなたが編集されたのだろうか。)
(店内の様子。食器、人形、ライト、その他雑貨類。おそらく店主さんが作成されたものも多く含まれるであろう調度品の数々が、この神秘的な雰囲気を作り上げている。)
お会計を済ませ、魔女カフェの扉を出れば、そこは元いた世界。さよならを伝えられてよかった、思い残すことはもうない、そう清々しい気分で、帰りのバスに間に合うよう急ぎ足で山を駆け下りました。
(1回目来訪時の帰り道)
ただ、口の中に残る香辛料の味、オーナーの情熱がまざまざと伝わる調度品の数々、店内のカフェらしい落ち着いた雰囲気、食器や一昔前の受話器のコール音、そして何より忘れがたいのが、ちょっと独特のイントネーションをしたあの店員さんの声、、、そうした「魔女カフェ」を構成する要素を一つ一つ心の中で反芻すると、やはり寂しい。そうしたイメージを繋げ合わせて一つの心象風景を作り上げてみれば、もうその中にしか(自分自身の記憶という内面にしか)存在しえない、と。
一方で、長崎に来るとこのフレーズを思い出さずにはいられません。
水が押し寄せてくるのが余り早かったために、今ではその昔、海底に沈んだリヨネッスの王国と同様に、まったく跡形もなく消え失せてしまったその頃のオックスフォードは、まだ水彩画の色をした街だった。
長崎という、旧外国人居留地(東山手、南山手)の建物が残る水彩画(銅版画)の色をした街に、その色彩をもたらした者は、もう誰一人としていない。長崎の栄華と悲劇を演じた幾多のアクターである外国人商人は、戦争とその敗北によって歴史の影に追いやられてしまいました。
しかし、この独特の景観と歴史を持つこの街は、急変貌を遂げています。新幹線が開通し、長崎駅前は大きく変貌しました。「色づく」のロケハン時代からは大きく変わったことでしょう。カフェとしての役目を終え、ヴィラとして生まれ変わることもまた、こうして水彩画の街に新たな色彩が加えられていくことに違いなく、大村湾の美しく贅沢な景色をもって素敵なヴィラになってくれればと思います。
楽しい思い出をありがとうございました。記憶にしっかりと焼き付けます。