音楽とかなんとか 雑記帳

主に感想とメモです。

半年ぶりの更新

気がついたら最後のブログ更新から半年以上経ってますね。これ。

 

確かメガ博帰りの新幹線とかでちまちま書いていたんだっけな。よくLΦST-IDEA聴いて

いた頃だ。大阪まで行って、お目当てだったendorfin.の生歌聴けて、時が過ぎるのが惜

しいくらい濃密な40分間で。Horizon note、raindrop caffe latte、桜色プリズム、などな

どのオンパレードで会場は多いに盛り上がった。人の少ない心斎橋を小躍りしながらハ

ンバーグ店に寄って、そして予約してた北浜のホテルに向かったんだった。

 

のちにライブの様子をレポートとイラストをツイッターに上げてる方がいらっしゃっ

た。自分が見た景色と同じだった。可愛らしいCDジャケットのキャラクターが、その

時の衣装を身にまとったイラスト。色々な都合で、キャラクターにその姿を仮託したの

だろう。

 

ただ私にはまさしくそのキャラが目の前で歌っていた。2次元と3次元は違うというだろ

う。そうであっても私が見たのは彼女だったと思う。そう思いたい。

 

自分は絵が描けなくて、ライブの様子も具に記憶しているわけでもなくて、その時の感

情を克明に書き現わすこともできない。細かいところまでは覚えておく必要もそこまで

ないような、そんな気もするけど、言葉にしなければ、記録しなければ、その事実も付

随する諸々の評価も、時間の渦に飲み込まれて消えてしまう。

 

我々が歴史史料を読んだとき、たとい言葉の意味がわかったとしても、理解できないこ

とは山ほどある。その時代特有の価値観や表現など近代の合理主義とは相容れない部分

はどうしてもよくわからない。合理性から外れた事象は、合理性に基づく近代文法では

書ききれないだろう。

せめて何を歌ったか、進行はどうだったか、は書けるとしても、それを超えた核心部

分、自分の目に映った景色はどうあがいても無理だ。このブログと同じように、随分と

意味不明なことを記しているだけになってしまう。

 

ライブ帰りの私はこんな感じだった。その時々考えたことを克明に記録すれば、少なく

ともその時の感情にけりをつけられる、供養できると思っていた。しかし実際にはこと

ばにすること自体、自分自身にとって限界がある。ネタはたくさんある、でもその後ろ

めたさが尾を引く。

もちろん自意識過剰かもしれない。自分に酔っているだけかもしれない。しかし、よく

現実を見据えるには、徹底して自己中心的にならなければならないだろう。強烈な自己

意識こそ、西洋哲学を貫いた原理の一つでもあり、隠者の知恵ではなかったのでは? 逆

に自己意識がない人とは何なのであろう。

ライブの時、その後の感情に真摯に向き合って何らかの意味を見出すために、記憶を呼

び覚まして、それを客観的に評価、批判して。そのこと自体に意味があるのかどうかは

今もわからない。

 

ネガティブ?なことを考えながらもう冬が近づいていて、改めて色々楽曲の感想を書こ

うかどうか、迷っている最中で。音楽理論をしっかりと勉強すれば、少しはまともなの

は書けるのだろうか。

 

そんなことを考えていると、FANZAとかDLsiteのレビューって書いている方々って本当

に素晴らしくて、尊敬するよね。他の通販サイトよりも圧倒的に質がいいし。

 

まあ好きなことにはまっすぐでいたいのは確かだから、「悩んでいるよりも好きなこと

語れ」って感じ。