音楽とかなんとか 雑記帳

主に感想とメモです。

作詞: 結崎有理さんがエモいという話(仮)

今まで1つのアルバムを取り上げその中の全楽曲についての感想を書いていましたが、今回は趣向を変えて「作詞者」という括りでつらつらと書こうと思います。つまり様々な歌手(アーティスト)のアルバム群を横断的に見るということです。あまりなかった試みでは? というわけでどうぞお手柔らかに。

 

好きな作詞家の方はたくさんいますが、その中でも特に結崎有理さんの作詞が好きなので提供楽曲を中心に見ていきます。声優にドラマCD脚本に...とマルチに活躍されていますが自分は作詞から知りましたね(少数派かな?) 「Soleil de Minuit」から知ってJelLaboratoryの中でも「Cadeau de Dieu」が特にハマって、そしてバイノーラル6音さんのYoutubeで配信されている作品に声をあてらていてそれが本当に好きで、そんなところですかね。

ドラマCDなどについては他のファンの方々の素晴らしい珠玉の感想がたくさんありますので、ここでは曲のみを対象とします。またアルバム自体のモチーフにも触れます。

 

さて、有理さんの作詞の特徴であり個人的に一番好きなポイントは、端的なワードでありながらストーリー、情景をありありと描き出しメロディーに合わせ理知的な対句で表現されている、その叙事的な質感と構成力の高さにあります。もちろん作品全体を統一的にいえるわけではないのですが。対句の構成の巧さは、まるで漢詩を詠んでいるかのような感覚になります。だから歌詞カードをのぞいてみると非常に整っている。聞いても良し、歌詞を見ても良しって感じなんですよ。

 

さらにモチーフの一つ一つが耽美的でエロティック。例えば「As you wish, My lady」はそのディテールの深さによってありありと目の前にその光景が浮かびます。上品なエロさってやつですね。

 

実際に楽曲を聴いていて言葉が違和感なくすっと耳に入る、最小のワードで多くを語るその表現力の高さもまた作詞の巧さを感じます。表現過多や説明口調だと結構重たく聴こえるんですよね、特に後者は。伝える言葉は端的な方がいいのはその通りで。表現の引き算といった感じでしょうか。フレーズ一つで一まとまりの語群で構成されていることが多いですかね。

 

ストーリー上の作詞構成や表現する単語それ自体に対するセンスが光る作品が多い一方、叙情的で自我ないし自己意識の根底に据えるような歌詞は少ない印象はあります。あくまで歌詞のベクトルは外部世界に対してであってその逆である自己の内面には向かわない、まあ上述の特徴と対極にありますので、この歌詞に共感しました!みたいなのには繋がりにくいのはそりゃそうって感じです。叙情を謳いあげた散文の形態をとるのが近代詩だとすると、有理さんの歌詞は前近代、韻律を基調とし、専ら政治的・社会的役割に特化した古代詩に近いのかなと思います。

 

実際に全曲は聴いていない(その時点で色々とアレ)ので知らないことも多々ありますが、その時は是非情報提供よろしくお願いします。

 

それはともかく描出の彩度が高く、聴く我々をどっぷりとアルバムの世界観に浸らせてくれる、そんなところが素敵です。クレジットで有理さんのお名前を見かけた時は期待感が爆上がりするんですよね。ご本人が出されているアルバムにはskygazeやVesperbell、そしてフロム・サイレントシティがありますが、今回は提供曲に絞って、特に好きな4曲について述べていこうと思います。

 

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この間の配信で歌詞については言及されていたので一応  なお「Cadeau de Dieu」についてはJelLaboratoryの方で感想を述べたいです。

 

 

アプルフィリアの秘め事  (2016年)

我らが正義・藍月なくるさんの1st Mini Album。その表題曲として収録されているのがこの「アプルフィリアの秘め事」。アルバムを構成する楽曲群はどこか妖精帝國のGOTHIC LOLITA PROPAGANDAを想起させるようなゴシック調で個人的にどの曲も好きです。その中でもこの4曲目にあたる「アプルフィリアの秘め事」は群を抜いて過激で耽美的で一番気に入ってます。

 

この楽曲の作詞を有理さんが担当されていて、同時に3曲目の「Paradise Lost」の作詞も手がけています。「Paradise Lost」はなんとなくるさんとSennzaiさんのツインボーカル曲です。この楽曲もかなりエロティックであり、楽園追放という旧約聖書のテーマを下敷きに描かれています。

 

このアルバムでは林檎のモチーフが繰り返されます。1曲目「エナメルの舞踏会」では「鏡は誘う 真紅の果実」、2曲目「片翼のディザイア」では「甘美に誘う禁断の果実」、3曲目「Paradise lost」では「知恵の実は抗えぬ甘い香り」と「林檎を 口にした時に心を知るの」、そして今回題材にする「アプルフィリアの秘め事」では「赤黒い果実から滴った 咽せ返る程甘い誘惑 一口齧ればもう 戻れない? 戻りたくない さあ愛し合いましょう」(1番Bメロ)とあります。どの楽曲もやはり楽園追放をモチーフとしていますね。ただし「アプルフィリアの秘め事」は「この楽園でずっと待ち続けているわ」と楽園にとどまっているので、「Paradise Lost」のような創造神の生みだした楽園とは異なる楽園であることが示唆されます。

 

このテーマですと多数の作品で引き合いにだされますが、その金字塔たる作品はやはりミルトンの『失楽園』でしょう。蛇に誑かされたイブがアダムと醜くも罵り合いをする様はまさに楽園追放にふさわしいといいますか、しかし、この「アプルフィリアの秘め事」においてはイブを騙した蛇の存在は特になく、もっぱら愛欲を貪る2人の姿が描かれそちらの方に重きを置いています。ひたすら過ちを犯し続け愛欲に堕ちていく、そんな退廃的な歌詞はやっぱりいいですね。同時にそういう曲がぴったりなくるさんに合っているのはまた良き。

 

さて、「アプルフィリアの秘め事」は4曲の中でも最も過激で、非常にサディスティックでありかつ挑発的な歌詞となっております。

例えば1番サビ

壊れるくらい狂えるくらい 夢中にさせてみて 我儘な注文(オーダー)も 愛情のうちでしょ

2番Bメロ

浮かぶ線舐めるようになぞって この身に触れたいなら 求めて? 本能(エロス)のままに さあ跪きなさい

といった部分はかなりドキッとしますね。大胆不敵といいますか、Vesperbellの「ScarletRouge」もかなりぶっとんでいましたが、それ以上にトバしていますね。そして「跪きなさい」の部分のなくるさんの歌い方、本当に天才的で心がかき乱されます。

 

そんな不遜な歌詞ですが、落ちサビとラスサビでは打って変わって真実(本当)の愛が失われてしまったことが語られちょっぴり切なくなっています。「本当はね知ってたの これこそ本性(私)だと 過ぎ去った遠い日に いつまででも縋って」の中で、本性をわたしと読ませているのが有理さんらしいなと思います。自信満々に命令(オーダー)しておいてここで弱みを告白するあたり悪い女ですね(褒め言葉)

 

ラスサビは林檎の赤のモチーフが「」繋がって想起されます。「壊れるくらい狂えるくらい 夢中にさせてくれなきゃ 血が撥ねた頬がほら 林檎のように染まって」、そして「咲き乱れる白い花」と赤黒い血と白のコントラストがよく映えます。性衝動と血(やそれを象徴する殺害の観念)の関係性の深さ、互いに罪を犯し合う(侵犯)ことで愛欲に溺れる過程は、バタイユ的なものを感じさせ、「死は恩寵」といった古代的なミスティシズムを感じさせます。禁止(罪)」の概念を設定しそれを徹底的に侵犯することで、二人深く結ばれていることをことさら強調させていると考えられます。またこの観念はJelLaboratoryでも引き継がれているかと。有理さんの歌詞の特徴の一つのように思えます。

 

放蕩を押しとどめるものは何もない...。放蕩の欲望を増幅伸張させる真の手段は放蕩に限界を課することなのだ。

 

マルキ・ド・サド 『ソドムの百二十日』

 

Soleil de Minuit  (2017年)

通称それみにゅ。なくるさんとSennzaiさんのコラボアルバムの表題曲です。実はこの楽曲で有理さんを知ったんですよね。そして最も好きな曲。Lapixさんの疾走感のあるサウンドと「真夜中の太陽(白夜)」という広大なスケールを携えた有理さんの歌詞、全てが完成されててつよつよな楽曲となっています。フランス語になっているのはsennzaiさんのアルバムの影響ですかね。

 

特にアルバムのキャッチコピーもまたエモい。「たとえ、貴女の姿が朝焼けに霞んでも ずっと孤独な宇宙で見つめてる」この物語の主体は「太陽」と「」でしょうか。それともそれらが司るところの「」と「」でしょうか。それともこれらダイナミックな天体の動きに自らの思いを仮託した人間でしょうか。そうすると白夜という緯度で限定された場所、時にしか起こらない特別な天体現象をバックとして、その特別な瞬間に二人の再会を重ね合わせる、そんな解釈になりそうです。いずれにせよ本来的には相反する存在が描かれていることは歌詞から読み取れます。2年後に頒布された「フロム・サイレントシティ」もまた薄明→夜明けと時間帯の推移を踏まえています。

 

そしてツインボーカル曲ということもあって、全体の構成としてかなり徹底した対比表現が取られ、より一層世界観がわかりやすくすっと頭の中に入ります。本当に「綺麗」と言う他ない。またなくるさんとSennzaiさん、声質が対照的なのもいいですよね。

 

楽曲の全体構成は1番Aメロ→Bメロ→サビ→2番A'メロ→Bメロ→間奏→ラスサビです。これら楽曲を構成する主題が別の主題と対比関係になっていたり、主題内で対比構造をなしていたりしています。こういうことだから説明のために歌詞引用にかなり割きますが許して...

 

最初に1番Aメロですが、Aメロで対比構造をなしています。

流れてく雲から溶け出す大気が(吹き抜け) 今日も人々の意識を呼び覚ます」(なくるさん)

流れてく星たち追いかけ漂い(寄り添う) 今日も夢を見る貴方と眠りたい」(Sennzaiさん)

「意識を呼び覚ます」と「眠る」、この対になるワード群はサビ、ラスサビでも繰り返され「昼」と「夜」の象徴化を図ります。太陽や月が地平線の彼方に沈むこと、昼と夜が交互に入れ替わることを擬人化して「眠り」と表現しているとも読み取れます。またなくるさんパートの方では客観的な、第三者目線の情景描写に止まりますが、sennzaiさんパートは「今日も夢を見る貴方と眠りたい」と思いを描き出しています。

 

そして1番Bメロですが、2番Bメロと対になっています。

凍える陽射しが世界を奪う(白く)」(1番B) (なくるさん)

気高い光に染まった夜は(白く)」(1番B) (sennzaiさん)

瞳を閉じれば覚えてるまた(黒く)」(2番B) (sennzaiさん)

穏やかな夜が世界を包む(黒く)」(2番B) (なくるさん)

1番が朝焼けの情景を、2番が夜の情景を表しています。普通太陽の出ている時間帯の方がポジティブに描かれそうですが、「世界を奪う」という結構ネガティブにとらえているところがとても素敵ですね。一方「穏やかな夜」とこの曲全体では夜に対し肯定的にとらえています。「Soleil de Minuit(白夜)」であるがゆえですかね。

 

この1番Bでは1番Aと同じく情景→心情表現の枠組が取られています。

独りきりなの」(なくるさん)「独りじゃないよ」(sennzaiさん)「ねぇ隣にいるよ」(1番B)

思い出すでしょ」(sennzaiさん)「思い出せるよ」(なくるさん)「ほらあの日の言葉」(2番B)

天上で出会うことのない太陽と月のように、それぞれ離れ離れな二人、でもお互い存在していることは確信している。そしてこの二人が出会うシーンが2番A'で描かれ、サビで大団円を迎えるという構成になっています。

 

その2番A'メロですが、

Ah 朝焼けが黄昏*1を染め」(なくるさん)

滲んでいく」(sennzaiさん)

この一時一瞬だけ目線(め)を交わす」(なくるさん)

 

として、二人が会える瞬間はまさに「夜明け地平線から太陽が顔を覗かせ空が紫色に染まるあの一瞬の時間帯ですね。非常に不思議で神秘的な、私もこの瞬間が非常に好きです。そしてこの感動のシーンを2番にもってくるのが演出として憎いですね。違うメロディーを2番に挟むことはよくありますが、ここに重要なシーンを入れるのは聴いている立場からすると、シーンの切り替えにおおお!ってなります。飽きさせない曲の作りが作曲においても作詞においてもなされているところが、この曲の大好きなポイントの一つです。その後は

Ah 星屑も隠れるほどの」(sennzaiさん)

孤独な宇宙(そら)」(なくるさん)

まだ留めて優しい時間(とき)永遠に」(sennzaiさん)

としてキャッチコピーの「たとえ、貴女の姿が朝焼けに霞んでも ずっと孤独な宇宙で見つめてる」の情景とも重なります。

 

そして実際に貴方が存在するとはどういうことなのか、「体温」に表されるように「接触」をトリガーとしているところが特徴的だなと思います。「この世に貴方が存る(あ)と告げる」はサビでも同じく繰り返されるところになります。

 

ではそのサビなんですが、やはり二人は隔絶された存在?のように語られます。しかし

見つめなくても 聴こえなくても 届かなくても感じる

 は先ほどの「体温」→「存在の確認」を踏襲した表現になっています。姿・声といった要素が掻き消されててもわかるんだってところが、むき出しの思いって感じでいいですね。「アプ秘め」のように何一つ過激な要素はないにせよ、こういった直接的でストレートな要素を物語のキーとして中核に添えているのは共通していますね。

 

何よりラスサビの歌詞がこれまたいいんですよね。

また二人笑えるまで その季節(とき)を迎えるまで 愛してる

おはよう」(sennzaiさん)「おやすみ」(なくるさん)

となっていますが、「愛してる」のところで物語の盛り上がり、大団円を迎える感じがお気に入りです。1番Aメロや1番サビ(「地平線超えた先で 青空のその向こうで 眠らせて」)で出てきた「眠る」というモチーフが挨拶表現で再提示され、さらに「おはよう」が「貴方と眠りたい」(=おやすみ)と同じくsennzaiさんパートになっているところがパート分けとしても綺麗でいいですね。

 

そしてもう一つ繰り返される表現としてサビ、ラスサビ最後の

私は」(sennzaiさん)

貴方を」(なくるさん)

想う」(sennzaiさん)

 がありますがこのように文節でパートを切り分けているのは「私は貴方を想う」というベタで何の変哲もない、下手すれば直訳風の表現ながらも、いやだからこそよりこの楽曲の締めとして強調されていいのかなと思います。まあキラーフレーズみたいなものでしょうか。

 

ものすごい壮大なスケールで描かれた曲でありますね。正直このアルバムでなくるさんやsennzaiさんの他の楽曲を聴くきっかけになったので自分にとってはとても思い入れのある曲であります。アルバムのキャラデザも素晴らしくて... もちろん「乖離光」や「Deep End」「Rare Checkmate」も素敵ですのでThe 名盤って感じです。綺羅星のような楽曲群の中で燦然と輝くのがこの「Soleil de Minuit」。作詞:結崎有理さんの楽曲の中でも代表曲になるのでは?と私は勝手に思っています。

 

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As you wish, My lady (2019)

我らが王 棗いつきさんの2nd album ラブマニックの2曲目として収録された楽曲。作曲はA_than_lilyさん。可愛らしい楽曲かなと思いきや結構インパクトの強い、過激な、生々しい路線の楽曲です。アルバム内でも一際異彩を放っています(というよりいつきさんの楽曲の中でも珍しい方では?)。

 

いわゆる「femme fatale」を意識したような曲です。女の気まぐれに振り回されっぱなしの男といいますか... まあそういう方自分好きなので結構歌詞には共感できますね。変な記憶を呼び起こしてしまいそうであれですが...

 

情景描写に巧みに心情が織り込まれ、1番では待ち合わせのシーンが、2番ではカフェで一緒にサーカスを眺めるシーンが描かれています。「時計の針は一回り」(1番Aメロ)って1時間待たせているんですか。こりゃとんでもない人ですね。2番の方もやはり思い通りにいかない「お姫様」に嘆いています。「世界で二人きりだって 嗚呼、何もかんも聞いてやしない」って言ってもそれもまたエゴでは?と思いますが、じれったいです。

 

一番描写の中でも生々しい部分は2番Bメロ、何かtwitterで噂されてましたよね(記憶が曖昧)

ほら上目遣いのちソフトなボディタッチ 思わせぶり素振りに昂り覚え ねえそろそろ我慢も限界だよ夢の中 Ah 君を押し倒したら

って一つ一つ頭に光景を思い浮かべると、ああこれ性癖に刺さる奴ですね。脚本家としての描写能力が遺憾なく発揮されていますね。台本のト書きや監督の指示みたい(小並感)。随分と弄ばれていますが満更でもなさそう。サビで「それでもきっとこのRoleは特別」とあるように、他の男でなくてこの俺にだけ我侭を言ったりしてくれること、そのことに優越感や悦びを見出していますね。君にだけ As you wish」っていうのもまた盲目的で。それが男の性。自分だけのものにしたいんだって思いは昂りますが、結局振り回されるだけ振り回されて、今日もまたYour servant お気に召すままに。ねえ誰かこの風景漫画で書いて(他力本願)って感じですね。

 

Cメロでは一転攻勢して男の方の欲望が加速し、転調ラスサビを迎えます。

どうか飲み干せないほどの 愛で愛で愛してるだから さあ溺れてしまえ

って割と強引です。何というかどこからその自信は出てくるんだろうって気もします() 愛に溺れさせてって表現ではなく溺れさせてやるですからね。そこからのサビの盛り上がりは激しいですね。多少アドリブ的な要素が大きい曲ですので実際聴いてみると、歌詞カードとはまた違う趣があるのも一興

 

他の楽曲であった対比表現はほぼ皆無ですし、どちらかというといじらしい要素を畳み掛けるような曲ですが、思わず口に出してしまいそうなリズム感があります。とりわけ滑舌が良く一つ一つの音の発声がクリアないつきさんだからこそ歌いこなせる曲だなと思います。紹介した3曲のなかでは比較的スケールは小さく、ピアノ曲でいえば「小品」かなと思いますが、随所に光るギリギリを攻めたような表現が衝撃を与える曲です。

 

星誕アンビバレンス (2020年)

つい先日発売されたばっかのsennzaiさんの1st mini album Ambivalen¢eの1曲目に収録された楽曲です。キャッチコピー「相反する二つを宿したまま、ワタシを受け止めて」とあるように、sennzaiさんの二つの異なる声色を使ったアルバムとなっています。確かにFleurixでは「Jewelry Beans」のようにちょっとやさぐれた感じの歌声の曲もありましたが、今回の特にこの「星誕アンビバレンス」はその両方の歌声を巧みに使い分けた、擬似ツインボーカルとなっています。ありそうでなかった試み... 

 

そして作曲は「クロユリ」を手がけた塚越さん。ここ最近なくるさん(「君よ」)やいつきさん(「Checkmate」)にも楽曲提供されていましたが、本当にいい曲ばっかりなんですよ。四つ打ちサウンドを基調としつつもここまで荘厳に、壮大に楽曲を盛り上げることができるのは音楽の可能性を再認識させられます。そこに有理さんの歌詞、sennzaiさんの歌声、名曲でないはずがないです。

 

受け止めてDon't stop lovin' you!!」としょっぱなからキラーフレーズが登場します。これと同じメロディがサビの最後、Cメロの最後にも出てきて強調されています。反復されると鮮烈に脳裏に焼きつきますよね。

 

このアルバムの世界観はやはりキャッチコピーにあるように「相反する二つ」であります。いわば自分自身に宿るもう一人の自分を対象としています。そんな自分と一緒にもっともっと遠くへ行こう!乗り越えていこうって感じの前向きな曲です。歌詞も自分の「内面」へ向けられ、今まで挙げた3曲とは逆向きの構成となっております。しかし一方でアンビバレント(二律背反)な存在に対して綴られているため、二項対立・対比関係を意識した構成にはなりますし、第一その矛盾する内面はほとんど他者と捉えても差し支えないのかもしれません。

 

それみにゅにもあったように組み立てが本当に綺麗なんですよね。口ずさんだ時の音もそうだし、文字にしても整って見える。

自己矛盾の衝動」(1番Bメロ)

空理空論な純情」(1番Bメロ)

無我夢中の心情」(2番Bメロ)

千紫万紅の恋情」(2番Bメロ)

 の並びは特に強烈ですね。1番の方では「感情」に否定的な単語がかかっていますが、2番の方ではむしろポジティブで吹っ切れた単語がかかっています。理性と本能 二つの狭間で揺れる」というワードが2番サビででてきますが、理性に対する感情の勝利ってところでしょうか。

また1番Bメロの続きは「押さえつけたんじゃ意味ないじゃん」「駄目だよ」「やれるよ」「怖いの」と相反する二人(二つの人格?)の対話が繰り広げられますが、2番の方は「待ちきれないと騒いでる」「求めて」「壊して」「愛して」と同じ方向を向いているようになります。ここの盛り上がり方が非常に好きです。端的なワードを積み重ねながら壮大なサビへとつながります。こうした最小限の表現で感情の機微を描き出すのはくどくなくていいですね。

 

そしてサビは1番と2番とラストとありますが、1番とラスサビはほとんど同一の歌詞ですがちょっとしたマイナーチェンジがかかっています。

走り出した未来への Flight 手の平から伝わるよ アイの鼓動」(1番サビ)

最果てまで大気圏を Flight 燃え尽きても新しい星の息吹」(2番サビ)

となっていますが、新しい星の息吹って「星誕アンビバレンス」のモチーフがここで現れます。超新星爆発を起こして原始星が生み出されるように。Flightって単語も一緒に宇宙を飛んでる感あっていいですね。アイの鼓動とカタカナになっているのは「」と「I(自我)」を掛け合わせているのでしょう。「A study in blaze」でも見られる表現です。

 

そして

表と裏 二つの想いを重ね キミのもと届くように」(1番サビ)

表と裏 二つの想い キミのもと届くように」(ラスサビ)

とマイナーチェンジがかかっていますが、パート分けも1番の方がなされており「表と裏 二つの想い」までが独唱になっているのに対し、ラスサビではお互い同じパートを歌っています。ラスサビではお互いの気持ちがシンクロし合ったのでしょう。ディテールが凝っていて聴いてて楽しい部分です。

 

実際にこの楽曲ででてきた表現自体は、例えば「crazy for you」や「狂えるくらい「スキ」が溢れ出した」といった表現は「SickCrazy」でも繰り返されていますし、Cメロの歌詞「置き去りにした本当の気持ち」は3曲目の「ワタシは夢と君の為に」に通ずる部分があります。でも同じワードを使っているはずなのに3曲とも全く違った魅力を放っている、それは作曲を含む楽曲の構成であったり作詞家の癖によるものなのかなと。その中で有理さんの作詞は、理知的にワードの積み重ね、叙事的で壮大な世界観を描くところに特徴がありますね。(一方このアルバムの他の楽曲はSennzaiさんの作詞ですが、非常にド直球ストレートな表現で上手くコントラストを成しているのかなと)

 

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Elle est retrouvée.
Quoi ? - L'Éternité.
C'est la mer allée
Avec le soleil.

 

???????????

 

次回に続く?

 

(問題がありましたら削除いたします)

 

 

 

 

*1:黄昏は夕方の意 朝焼けが夕方を染めるのは不可能なので、twilightを借用した上での表現か...と思いきや白夜をワンフレーズで表す試みだそう(本人twitterより)

Endorfin. 4th Album Alt.Strato の感想と考察 Endorfin.におけるイラストの変遷についての覚書

Endorfin. 4th Album Alt.Strato について、全楽曲の感想です。

 

2018年春M3で頒布されました。ただこの時私はM3はおろかEndorfin.すら知らなかったかな。当時はクリアファイルとか販売してたのか...もっと前からこのアーティストを知っていたかった、そんな思いがぐるぐると頭をよぎる。でも本当にどうしようもないことで、もしもっと前になくるさんやデルタさんを知っていたら、Endorfin.ってアーティストの自分の中での位置付けも変わっていたのかもしれない。そう考えたら、ちょうど良いタイミングでえんどるの楽曲に出会えたのかも。

 

Endorfin.がどのように愛されていたのか。今と同じように長蛇の列が形成されるほどだったか、すでの「とんでもない世界線に来」ていたのか。当時の感動をもし知っている方がいらっしゃったらコメントで教えてください。

 

さて、このAlt.Stratoはストーリー仕立てになっています。歌詞カードにはそれぞれの楽曲に女の子の姿が描かれています。このストーリーの主役かもしくは... ジャケットはふーみ先生書き下ろしの銀髪の女の子。Horizon Noteで描かれたキャラと同じですね。さらに「ひまわり」や「紙飛行機」といったいかにも夏らしいモチーフが並びます。

 

全体的に過去の思い出を回顧的にふり返えるようなものでしょうか。

 

前置きが長くなったのでここから書き始めていきます。

 

ーひまわり畑、入道雲、刺すような青空と蝉の声

 この場所に帰ると思い出す

 

 君は君の道へ 私は私の道へ

 きっともう交わらない平行線を歩いてゆくのだろう

 

 あの日の君の影を探してー

 

endorfin.jp

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感想につき、偉大なる先駆者様(まちかすさん、とまとさん)

 

matikun22.hatenablog.jp

tomato-scope.hatenablog.com

 

 

 1. Introduction

ピアノソロの楽曲。実は表題曲「Alt.Strato」のイントロ部分の抜粋。このアルバムの世界観がこのメロディに集約されていることを感じさせます。メロディー的には嬰ヘ長調とかそんな感じ?

 

表題曲「Alt.Strato」を聴いた後だと、ピアノソロの爽やかと共に、切なさと懐かしさを感じますね。てかEndorfin.ピアノ好きですよね()

 

 2. Cornus Florida

 cornus florida: ハナミズキの学名。元々はREVOLUTION OF HAPPY? #01に収録されていました。今回Alt.Stratoは「Four Leaves」といった元々ゲーソンとして世に出た曲も含まれます。別の文脈下で作られた曲が、Alt.Stratoというアルバムの世界観に織り込まれていく、その手法はLOST-IDEAやStories of Eveでも表れています。

 

これまたピアノサウンドから始まりますが、当初の収録先の関係かかなり電子音が目立った楽曲となっています。初夏の水々しさ、酷暑になる前の爽やかさがデルタさんらしいサウンドによって彩られ、そしてハナミズキというまさに初夏を代表する花を曲のテーマとする、この夏物語の始まりにぴったりだなと思います。

 

そして歌詞カードに描かれているのは幼少期の頃の女の子。秘密基地や「もういいかい」「まだ駄目なの」からわかるようにかくれんぼが描かれ、幼き日の思い出を彷彿とさせます。

 

ただしあくまで過去のこととして、回顧的に蘇っていきます。

秘密基地に残る あどけない君の横顔 昨日の事の様に」からは逆説的にかなりの年月が過ぎてからかつての遊び場を訪れていることがわかります。要するに主人公は大人なんですよね。

そして「君」への追憶が始まり、2番Bメロの「『もういいかい』何度も夢に見た 『此処にいるよ』愛しいその声」はかくれんぼを下敷きにしながら、思い出の「君」を追い求める様子が描かれます。ここが表現として上手いしにくいですね。

 

一方2番Aメロでは「気付いて 手を伸ばした先には影も無く いつも前を歩く 暖かいその背中を すり抜け 目を逸らす」とし、どこか離れ離れになってしまったことを示唆します。あれ、ティザームービーのシーンってこれじゃなかった?追いかけていたのは歌詞カードの女の子でしたね。女→男の視点で描かれたストーリーということでしょうか。

 

とはいえサビの歌詞は何か強い意思が感じられます。

1番サビ「遠回りをすればするほど 強く 惹かれ合う 過去さえ塗り替えて 握りしめた地図広げて 戸惑いのサイン 振り切って 駆け出そう 」、また2番サビでも「想いが強くなればなるほど 深く 予感がするんだ 運命だって」とえんどるにしては前向きで真っ直ぐですね。離れれば離れるほど募る恋心は確信へと変わっていく、それが踏み出す前向きな意思表示に繋がるのはEndorfin.の中でも割と明るい部類に入ると思います。とはいえ、これもまた究極的には叶わないこと、それがAlt.Stratoという本性なのです

 

ただこの曲、「私」や「僕」といった一人称が一切存在しないんですよね。主格を排斥することによって、元々このストーリーとは違う文脈で作られた曲であり多少の齟齬はありつつも、抽象度を高くその分意味内容の幅を広げ、幼少期の思い出というストーリーの開始地点の役割を果たしているのかな

 

えんどるらしい爽やかな曲で、間奏の電子音とギターソロの疾走感も素晴らしいです。

 

 3. リフレクション

Cornus Floridaとは打って変わってロックで主観が強いエモーショナルな楽曲。このアルバム内だと一番熱くて好きですね。カラオケでも歌えますよ。歌詞カードのイラストは中高生時代の女の子。ああ青春って感じですね。

 

Bメロで3拍子に変えるという変則的な構成をしていますが、これがまたいいアクセントになってます。なくるさんのエモエモな歌声がさらに情感を引き立てます。本当に聴いてて気持ちがいいです。こんなロックテイストかつ爽やかな楽曲増えてください...  サビ入る前がとびっきり素敵なんですよ。夏らしい疾走感、晴れ渡った真夏の空の下、まさに「青春」という言葉がふさわしいその恋情の昂りと、その切なさを歌い上げる、Alt.Stratoの中でもとびっきり眩しい曲です。

 

この曲が素晴らしいのはまっすぐ過ぎる歌詞なんですよね。もうね...過去のいろいろな記憶を掘り起こされて刺さりますよ。

 

1番Aメロでは放課後(夕暮れ)と思わしき場面の提示、「先ゆく君」の存在と君を追いかける自分が表されます。1番Bメロで、「はがれ落ちた幼さの奥に芽生えた感情 君に言えないよ 一度きりのStory」として、Cornus Floridaとは真逆の感情が描かれています。そりゃ言えないですよね。「はがれ落ちた幼さの奥に」ってところは、前曲との連続性を感じさせますよね。

 

そしてサビの歌詞が非常にストレートで最強。

僕が僕じゃなければ僕は君に出会わない」くどいくらいの「僕」の反復が返って心に残りますよね。自己意識とその同一性、不変性を大前提とした上で「君」と出会った。もし寸分も自分が違ったら今の光景はない。ここの強烈な自己意識によって、見える世界が価値づけられる部分がEndorfin.ぽいなと思います。Horizon Noteにも通じるところでもあります。

さらに、2番のサビでは「たとえ世界に空が落ちても きっと僕は僕のまま」とこれまたエモい歌詞が出てきます。ここ好きな人多いみたいですね。「世界に空が落ち」るって、まさに天と地がひっくり返るような終焉って感じですかね。LOST-IDEAのフラグ...? いわゆるセカイ系の構図なんですよ。自己の対立物として世界を見据え、徹底的に不変な、ストイックな自己を陽刻のように浮き彫りにさせる。その指向は対峙する神様を暗示する「春風ファンタジア」や「終点前」でも多少見えますよね。

 

そんな強烈な酔狂にも似た自己意識を持ちつつも、いや持っているからか、「君」に伝えられないんですよ。ここに絶望的に解決不可能な矛盾が生じます。

2番Aメロ「いつもと同じ教室の風景 けれど確かに違う"今"がここにある 似通った毎日の中で 僕らはたぶん少しずつ変わり始めてる」と残酷に時は過ぎていくことを認識していながらも、ラスサビ「全ての"今"は過去になる 気付いているのに 弱虫な僕を叱って」となってしまいます。「全ての瞬間に恋をした自分の恋情には気付きつつも、何もできない「僕」。切ないですね。

 

この曲のもう一つの特徴は「今」が強調されていること。1番サビ「全ての"今"の輝きが乱反射して 今の僕がここに在るんだ」や2番サビ「全ての"今"が過去になるその前に 君に伝えておきたいんだ」と、「君」と出会えるタイムリミットを仄めかす「今」「僕」の存在の総体を構成する「今」、2つの意味を持ち合わせます。この表現ぶりからすれば、未来から過去を眺めるような回顧的要素はなく、常に視点はこの青春時代に置かれていると解せそうです。しかし、ここまで「今」を意識しながらも君に伝えられない、という事実は、「今」が過ぎ去ってしまったことをむしろ皮肉っぽく暗示しているのかもしれません。タイムスリップしたように、現在の軸にある主人公が、当時の彼/彼女に成り代わって余情を紡いでいる、そんな解釈もありかなと。タイトルのリフレクションはまさに「今」の状態や感情全てを乱反射して反映された「僕」の内省である、そんな意味が込められているのかも。

 

ただ、Alt.Strato全体に言えることですが一人称があやふやなんですよね。特にこの「リフレクション」では「僕」と「私」が混在しています。主格があいまいだとAlt.Strato全体のストーリもわかりにくくなります。この部分については他の曲の歌詞を見て検討するべきですね。まあ「リフレクション」の書きぶりだと、明るくはしゃぐ君とそれを追いかける内向的な自分というイメージですけど... 

 

ただもうえんどるの中でもピカイチに琴線に触れる曲です。情感たっぷりななくるさんの歌声が本当に過去の様々な記憶を艶やかに、不思議な明るさと切なさをもって蘇らせてくれるような、力強い曲ですね。

 

 4. 泡沫の灯

夏祭りと花火の夜、という感じの曲です。電子音をベースとしながらも途中に入るコントラバス的なサウンドと花火のSEがなんともおしゃれですよね。ラストの鈴虫のSEもまた美しくて儚い...

この曲、なごりんliveでなくるさんが歌っていました。ちょうど季節も夏でしたね。「ガラスアゲハ」も同じく披露されていましたが、何も言えなくなるほど非常に美しかった...

 

1番Aメロ→サビ→2番A'→Bメロ→間奏→サビ→転調ラスサビと曲構成はかなり特殊、転調部「君が大好きだったんだ」のところが非常にエモいです。今までの思いが全て爆発したような感じがして好きですね。歌詞カードのイラストは高校生の女の子。ただし顔は見えていません。一体...

 

サビの歌詞の情景描写がリアルで素敵ですよね。「涙と夏を結ぶ 夜風と菊花火 尾を引いて 水面に消えていく」泡沫の灯とはこの一瞬の火のことかな。「ずっと傍に居たのに 声は泡となって 君へは届かない宴の夜、周囲の賑やかさとは対比的に、涙が零れ落ち一人佇む自分、そして君に思いを伝えられずただ岩影から幸せそうな君を覗くことしかできない、もう君は傍にいない、2番Aメロの「行き場のない 慈悲もない もうすぐ夏が終わる」とかなり状況が絶望的なことになっています。切なすぎるでしょ... 「リフレクション」とこの曲の間で思い人の中で何かあったんでしょうね。違う好きな人ができた...とか。疎遠になってしまったとか。

 

いつからこんなにもこんなにも臆病で情けなくなったの」からも「Cornus Florida」のような前向きで真っ直ぐな意志(勇気?)は成長と共に剥がれ落ちてしまった、アルバム聴いててもここで胸が苦しく成りますね。

 

そんな取り返しのつかない現実に対してラスサビの「君が大好きだったんだ ただそれだけなのに 沈んでいく 呼吸も出来ない」って部分はかなりエモいです。ここのなくるさんの表現上手いなあって思います。サイコパスなくるんの「だいすき」連呼とは全く違いますね... リフレクションで恋心を、好きなんだって思いがこの曲で、でももう現実には無理で。「だった」と過去形になっているところがまた悲しい。全てが後手後手なんですよね。シーグラスといった海、砂浜のイメージとそこへと尾を引いて落ちる花火の残骸、「沈んでいく 呼吸も出来ない」とはこのモチーフに自分の思いを投影しているのでしょうか。咽び泣いて海に沈むように呼吸ができないほど息苦しい、そんな様子も想像できます。本当に残酷だなあ...

微かな鈴虫の音 君の居たあの夏へ 二度とは戻れない」のもまた、二度と「リフレクション」で描いた幸せな光景を見れないこと、全てを失ってしまったような絶望感や過去に対する後悔が滲みでています。鈴虫の音だけが、宴の後にも響き寄る辺のない恋心と共鳴しているような

 

この曲の作詞なくるさんなんですよね。悲哀を感じさせる歌詞を紡ぐのが得意というか... 

 

似たような思いをした人にはとにかく刺さるのでは?

 

 5. Four Leaves

元々SOUND VOLTEXに楽曲提供されていた曲で、CDverのみの収録となっています。この楽曲Endorfin.からコメントがあります。

 

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この中でFour Leavesにつき「何か始まりを予感させるような」「真っ直ぐな楽曲」と答えられています。確かにまっすぐな歌い方ですけど、この始まりの予感とは... スタジオ初収録だったということである意味えんどるにとっては一つ上のステージに立てた、記念碑的な曲なのでしょうかね。

 

曲調としてはspicaとよく似ています。間奏のピアノ部分はのちに「彗星のパラソル」でも踏襲されていますね。(歌詞も共通する部分があります。Horizon Claireの感想参照) 間奏からCメロ、ラスサビの畳み掛けも非常に盛り上がりますね。メガ博で披露された際も本当に格好よくて、原曲よりもなくるさんの声が甘々で最高に熱かったです!あの時に戻りたい...

 

Alt.Strato内でのこのFour Leavesはかなり特殊です。第一に「君」という単語がこの曲だけ出てきません。yourselfという言葉は登場しますが、恋愛感情に等しい存在もモチーフも特にありません。徹底的に自分自身への内省が描かれています。ただしそれもまた、様々な要素を含んでいて全体的にわかりにくいのですが... タイトルのFour Leavesも、四つ葉のクローバーのイメージ(幸福や希望など)を付与しつつも、4つ=春夏秋冬:季節の移り変わりという意味を込めているのですかね。「泡沫の灯」がかなり胸が苦しくなる情景だったので、この曲はまだ救い道はあるような気も...

 

歌詞の構成要素は大まかに分けると「自分自身」「言葉」「信じること」でしょうかね。

 

1番Bメロで「誰かの言葉に引かれ歩いた道を信じることは優しさと呼べるの」とありますが、今まで歩んできた旅路の是非を問うているのかな。その旅路を貫いてきたものは「誰かの言葉」だったのであって。大切な人の言葉ってどうも頭に焼き付いてしまうものですよね。それによってどんな貧乏籤を引くことになったとしても。あくまでその態度の是非が「優しさ」という指標で裁かれるわけであります。すごい倫理的な態度なんですけどね。

 

「信じること」の役割は、2番メロでも「願い」を通して登場します。「誰かの願いは他の誰かの願いになって信じることで星空を駆ける」とありますが、願いや祈りは個人的なものではなくて、他の誰かにも同じく伝播する、その媒介として「信じる」という行為を挟むことによって星空を駆ける=より高次元で高尚な願いへと昇華する。Alt.Stratoの文脈でいえば、この寄る辺のない恋情でありますし、それが叶わなくなった今(?)、星々にでもかけなきゃ報われませんから。

 

1番、2番、ラスサビで「言葉」「僕」との関係が浮き彫りになっています。

言葉にすれば消えてしまいそうなくらい 不明瞭な僕の意味を数えて この世界の片隅に重ねた呼吸で 誰のために願おう」(1番サビ)

言葉にすれば消えてしまいそうなくらい 曖昧なこの世界に何を残そう 心に触れた悲しみの糸は切り裂いて 欠けた日々を追いかけた」(2番サビ)

言葉にすれば消えてしまいそうなくらい 不明瞭な僕の意味を数えて 僕は僕のためにここにいるのだと 忘れないように歌い続けよう」(ラスサビ)

自分自身の曖昧さと言葉の重みが反比例した感じになっています。言葉に表せないものは世界から放逐される。言葉に頼っても自分の思いは表現しきれない、言葉の重みによって表現しきれなかった残滓は排斥されて、この世からなかったことになる。「想いは伝えきれない だからこそSingin'」とした「桜色プリズム」も、文脈は多少異なれど、言葉の限界を超える意味で「歌う」という行為に繋げています。「Four leaves」にとっては、自分を自分たらしめる思いを忘却しないための、一種の戒めのような行為として描かれているのかな。

 

その思いというのは願いや夢と重なる部分であり、2番Aメロ「まだ燻る夢のひとつ 鞄に詰め込めるほど軽くはない 押し寄せる時に呑まれて本当の自分さえも見えなくなる」 と表されています。「夢」とは先ほどの願いや1番Bメロの態度と繋がる部分であり、Alt.Stratoという文脈の元では思い人に対する思慕、もう一度君と一緒になりたいという思いなのかな。鞄に詰めきれないほど思いのたけは大きい、時が流れゆく中でもう運ぶことができない。時の移り変わりに翻弄されて本当の自分が見えなくなるというのは、サビ部分の内容を踏まえ、「Four Leaves」のタイトルの意味を繰り返しているのかな。

 

えんどるゲーソン曲は全体的に文脈がないのでわかりにくいですが、えんどるで繰り返されるモチーフから雰囲気だけでもキャッチできるのかな? でもどこか馬鹿正直なほど真っ直ぐな思いというのはひしひしと伝わるところがあって、それはどの曲にも貫かれています。本当に素敵なんですよね...

 

そして私の解釈は先ほど挙げたとまとさんの解釈とはほぼ真逆の線を辿ります。Alt.Stratoの文脈から考えると、次曲との整合性の関係上、まだ思いを振り切れていないととらえるのが合理的かなと思います。一方でそのような世界線を想定しないとする、単なる1曲として考えるならば、Endorfin.のお二人がおっしゃるように「何か始まりを予感させるような」楽曲であり、「君」への思いにケリをつけ新たな門出を迎える、その意味での「始まり」といえるのかもしれません。

 

なお歌詞カードの描かれたイラストはピアノを弾き語る女性。この曲を歌っているのかな

 

 6. Alt. Strato

表題曲:「Alt.Strato」Endorfin.にしては珍しいバラード調の曲。introductionでも使われたイントロのピアノの旋律が、この物語を聴いた後では深く心に染み込みますよね。ストリングスのサウンドもまた切なく響いています。

 

Alt.Stratoの意味を他の方々はどう理解したのかな? 直訳すればAlt: alternative or ドイツ語で「古い」Strato:stratosphere(成層圏)ということになるので、「もう一つの空」「古き時の空」って感じでしょうか。 「移ろう空の色さえ 二度とは出会えない」という部分からしてもそうなんじゃないのかな。

 

この曲のテーマはまさに「追憶」。かつて「君」と過ごした田舎町を訪ねているという感じでしょうか。「Cornus Florida」と同じような時間軸に立っているのかな。「懐かしい風に紛れこんだ あの日の君の影を探して」というアルバムの表題に繋げながら... いるはずもない影を追い求めて。

 

一つ一つの歌詞が本当に心の底から理解出来るですよね。

 

あの日と同じ蝉の声と刺すような青空 深く埋もれた記憶を痛いほど映し出した」は蝉の声と青空という夏を象徴する装置のような役割を果たし、視覚と聴覚を通して「リフレクション」や「泡沫の灯」のあの世界を、救われなかった現実を呼び覚まします。

 

時は流れここはきっとあの頃とは違う場所 移ろう空の色さえ 二度とは出会えない」からは、やはり昨日のことのように覚えているあの場所であっても、長い年月が過ぎたために記憶の場所とは程遠くなってしまったことを指しています。街並みが変わった、再開発でかつての遊び場が消滅した...など物理的な要素もありますが、何か大切な人と過ごした記憶が結びついて認識の中の場所というのは存在しているから、追憶の中でしかその人がいない以上、もうすでに今訪れた町というのは抜け殻のようなものでしかないのです。この曲の情景が、自然のもの(蝉の声、流れてゆく雲)でしか表現されておらず、秘密基地のような特定の人工物や建物については表現されていないのがその証左かと。Horizon Claireの「残光」や「ミントブルーガール」においても「場所・舞台」の存在が強調されていますが、これらにも同じことが言えます。

 

BメロやCメロでこのような記憶は全て捨て切れたと歌っていますが、結局は思い返してしまう。記憶というのはそれだけ厄介なもので、辛いもので、太陽のように輝く過去に今の自分を照らし合わせ、縛めらせてしまう

 

サビは1番と2番比較するとこの物語の主人公の思いの揺れ幅がわかります。これまた経験したことのある人にとっては十分響くものなのでは?

夏の青に包まれて 止めどなく溢れ出す哀 もしあの時間に戻れたなら 今は変わるのかな

夏の青に包まれて 止めどなく溢れ出す哀 もしあの時間に戻れたとしても きっと言えない

「今は変わる?」→「過去に戻っても言えない」という心境の変化が見られますが、ではなぜ過去に戻っても言えないのでしょうか?この理由がきっとAlt.Stratoの世界観の根本にあるテーマではないかと思います。

 

ですがこの理由についてはここでは伏せておきます。「記憶の君にさよなら」がヒントになりうるのかな。

 

そして最後に「君は君の道へ 私は私の道へ きっともう交わらない平行線を歩いてゆくのだろう 」とアルバムのキャッチコピーが表され二度と会えないことが暗示されますが、「そしてまたこの町のどこかで・・・」とどこか再会を願うなどやっぱ諦めていないことが示されています。なんというか、なんというかですね(語彙崩壊)

 

Endorfin.はモチーフの使い方が非常にうまいんですよね。そこからの情景の映し方も。

「夏の青」→「哀(藍)」って流れ、青は藍より出でて藍より青しじゃないけど、綺麗な表現だなって思います。「青(蒼)」という表現は他楽曲にも見られ、「続いてく青に反射して混じり合う」 (「桜色プリズム」)「蒼に溶けていく」(「海月」)、「蒼が割れて 灰に散る」([Kaleidoscope])とあります。溶けたり包まれたり混ざったり割れたり忙しいですね()

 

感情移入がしやすいエモい曲の代表格として、自分自身はこの「Alt.Strato」を位置付けています。

 

そこには憎しみの神はあるが、救いの神はない。なぜなら、地上における失敗は、永遠にとりかえしがつかぬからだ。神は人間の外部的な行為について罰するのみで、その内的動機によって救いとろうとしないのである。

 

福田恒存 『人間・この劇的なるもの』

 

歌詞カードについてと残された部分

歌詞カードに載っているイラストについてまとめると

 

・Cornus Florida: 幼少期の女の子 枝を持つ

・リフレクション: 中学生の女の子 紙ヒコーキ

・泡沫の灯: 高校生の女の子 夜空の下一人佇む

・Four Leaves: 大人の女性 ピアノの弾き語り 

・Alt.Strato: 二輪のひまわり リボンで結ぶ

 

そしてアルバムジャケットの裏は教室の机、歌詞カードの裏にはホームページでは白紙となっていた紙ヒコーキに「ずっと言えなかったけど、僕は君のことが好きです。返事待ってます。君の気持ちが知りたい。」と。非常に憎い仕掛けが施されています。いや、これは泣くでしょ

 

残された問題として、一人称のズレがあります。特に「リフレクション」では「僕」と「私」の両方が用いられ、「Alt.Strato」では「私」が一人称、他の楽曲と紙ヒコーキの手紙の中では「僕」となっています。「僕」というジェンダーを男として、「私」を女として捉えるならば、この物語の主人公とは何者なのでしょうか。本当に一人の主人公の片思いの話なのか、実は男女両方の恋模様が描かれており(楽曲によって視点が違う)、両想いだったけどお互い告げられずに終わってしまった話なのか。

 

きっとその両方で解釈できるのではないかと思います。自分としては青春時代を綴る「リフレクション」「泡沫の灯」で「僕」が使われ、「Alt.Strato」の追憶時では「私」が使われていることから、「どの時代の視点で立っているか」で一人称が変わっていると解し、男→女への片思いだと思っています。まあそうすると歌詞カードのイラストなど整合性が取れない部分も出てくるんですけどね。

 

それと歌詞カードのイラストを見る上で気になった点として、どのイラストにも藍色のリボンが出てきているんですよね。髪につけたりカバンにつけたり、ひまわりを束ねたり... 幼少期から大人になるまで一貫して付けられているのは何か大切な意味でも込められているのかな。大切な人からもらった...とか。二輪のひまわりを束ねたイラストが「Alt.Strato」では描かれていますが、これは2人が結ばれてくれという願掛けでしょうか。そこにこのリボンを使っていることも妙に示唆的ですよね。でも歌詞には一言もリボンの存在は明記されていません。

 

明記されていないといえば、あれだけジャケットに描かれた「ひまわり」🌻も歌詞には出てきていないんですよね。

でもどうしてひまわりを見ると妙なノスタルジアや切なさを想起させられるのでしょうかね。一応花言葉は「憧れ」「あなただけを見つめる」ということですが... 「ひまわり」という1970年のイタリア映画の影響か、「Mother3」第6章 ひまわりの高原の例のシーンか、自分が思いつく限りだと悲哀やら別れやらと繋がっているような気もするけど。何というか、架空の青春なり故郷をでっち上げた挙句、それに対する郷愁を元に現実(現在)の自分を裁くような、中々理不尽でエグい装置ですよね、ひまわりって。

 

解釈の余地は無限にありますが、一つ一つ要素を取り出していくとああこれわかる〜ってところばっかりで、自分も失われた青春を思い出したような気がします。

 

Endorfinのアルバムのイラストについて

 

Alt.Stratoのアルバムジャケットで描かれている女の子は、Horizon Noteで描かれていた子とそっくりですね。

 

いつの間にかなくるさんのイメージになっていました。「自然は芸術を模倣する Life imitates art」とはまさしくこのことで。藍月なくるという存在がこの銀髪の女の子に模倣される、ふーみ先生やその後えんどるのジャケットを手がけたおしお先生*1、アシマ先生でもEndorfin.の中でこれらの諸要素が反復され、a20さんによる本人新規イラストに代表されるように、なくるさん本人を模倣した。過去のなくるさんのアルバム(Nacollection!やアプルフィリアの秘め事など)の七瀬えか先生のイラストでも銀髪のモチーフはすでにあったので、6年以上ですかね。

 

そして何よりこの銀髪モチーフと模倣には数々のファンアートが有機的に結合しています。この営みこそが一番重要なのかなと個人的に思っています。ある種えんどるのアルバムジャケットは不思議な肖像画なのかもしれません。

 

そしてこのモチーフの連続性と模倣との関係においてAlt.Stratoのイラストの意義とは、Horizon Noteから始まり、Horizon Claireで大団円を迎えるEndorfin.の一つの物語のキャラクターイメージを確立(始まりではない)であり、語弊を気にせず言い切れば、「Endorfin.のなくるさんの肖像画であると思います。

 

ここらへんにまでにします。ほよ〜

 

 

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(多分追記します) 

 

 

 

*1:ただしLOST-IDEAにつき、具体的なストーリーの登場人物であるためこの議論の対象からは外れる、なお当該アルバム発売当時、シロの方をなくるさんはアイコン画像に使用していました。それを考えると基本的に踏襲されている?

Endorfin. 7th Mini Album Stories of Eveの感想

2019年秋M3にて販売されたEndorfin. 7th Album Stories of Eveの雑感です。

季節シリーズの最後を飾るアルバム! 舞台は冬! でもこれ書いているのは4月! あれ...

 

4曲収録(インスト除く)でそのうち「M:routine」と「終点前」の2曲が新曲。これが衝撃的で今までのえんどるにはなかった表現だったのでは...と。冬らしいメルヘンチックな曲から、雪が降り積もるようにじーんと重くのしかかってくる曲まで、バリエーションに富んだお二人の表現力がいかんなく発揮されています。

 

冬をテーマに、クリスマス・イブを過ごす少女たちの心情を歌ったミニアルバム 聖夜に息づく、それぞれの物語___

   

endorfin.jp

 

 

1. M:routine

 

全体2分という短い曲。これまでも「一粒ノ今」や[kaleidoscope]といった小曲はありましたが、ボーカル付きでこうした曲をアルバムの始めに入れたのはこれが初かな?その後のアルバムであるHorizon Claireでも「残光」という小曲をイントロダクションに入れていましたね。でもここでは「残光」のようなアルバム全体のモチーフを描き出すのではなく、あくまで少女たちの一人の他愛のないモーニング・ルーティンを描き出しています。作曲のデルタさんの仰るように、「冬の朝、布団にくるまって聴いてほしいです(目覚ましにするもよし)」ですね。起きれなさそうですが。

 

Endorfin.ではたまに見かける3拍子!例えば「コトノハ」は3拍子で貫かれていますね。「リフレクション」ではBメロの一部が3拍子と中々アクロバティックなことをしてきます。非えんどる曲ですが、「Deep End」(Sennzaiさん歌唱)も3拍子かな。あと「鏡像のカノン」(nayutaさん歌唱)のBメロサビとか3拍子の曲って日本人にとって難しいとか何とか言われますが、今挙げたどの曲もクオリティが高いんですよね。

 

そして編曲のセンスが抜群に高い!目覚ましの電子音で曲がスタートし、ところどころ打楽器の音がアクセントとして、曲に重奏感と可愛らしさを演出する、まさしくRaindrop Caffé Latteのように情景描写がピカイチなんですよ。それでいて破綻なく無駄なく2分に収める、こうした小曲をどんどん作ってほしいですね(願望)サビ部分のピアノの伴奏の旋律を構成するイ長調の和音が変化していくのも、メルヘンチックでよき

 

さて歌詞内容は起床→朝ごはんというまさにルーティン。「さあ 朝のルーティン」伸びやかななくるさんの歌声が印象的ですね。そしてこの主人公の心情を代弁するのは「切なく優しいポタージュ」と「きらきら光るスノードーム」。前者はポタージュの温かさが胸に染み込む一方、どこかクリスマスという「愛があふれるこんな季節」に対する現実感のなさ、それが切なさの原因なのでしょうね。後者の「スノードーム」には逆にこの主人公がその中身に対して想いを託しているようにおもえます。スノードームの中身は人形や建物、一種の理想化された「箱庭」であり、どこかその別世界に対し自分の生活を擬えるように見つめているのかなと思います。

 

アルバムのイラストはスノードームの中で兎と白紙の本を読む女の子。スノードームという舞台装置が見せるものとは... 

 

2.  white night story

 

pop'n musicに収録されていた曲ですね。full.ver公開まで結構時間かかりましたね。楽しみにしていた曲の一つです。

 

The クリスマス!って感じの曲です。跳ねるようなピチカートがクリスマスの夜って感じですね(意味不明)えんどるの音ゲー楽曲の中でもとびっきり明るくて可愛らしい曲になっています。音ゲー収録時よりもサウンドがよりクリアになっています。

 

この曲の最大の魅力はBメロですね。Endorfin.の楽曲をみるとBメロがいい役割を果たしているんですよね。思わずクラップを入れたくなるような軽快なメロディー、2番Bメロではグリッサンドが新たなアクセントとなっています。それとは対照的に「Tell me your wish」と高音響き渡るサビ、このコントラストとそれぞれ可愛らしく表現するなくるさん。本当に素敵なんですよね。

 

さて歌詞内容について、大まかな枠組みについてはEndorfin.のお二人が説明されています。

 

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ここで「つららちゃんのイメージ楽曲ということで、舞台はクリスマスイブの夜の星空、賑わう街のはるか上空に一人。若干の寂しさを覚えつつも、好きな人のことを想いながら世界中に幸せを届けて回るサンタ見習いの女の子。そんなイメージで制作しましたとありますが、もう余すところなく歌詞に詰め込まれていますね。若干の寂しさとありますが、1番2番Aメロで如実に表しつつも、「かけがえのない わたしだけの場所」と言い切るあたりサンタ見習いという特別な地位を表してるのかな。普段のえんどるでは考えられないほど強いですねこれ。「どんな夢もわたしが叶えるよ」ってねえ

 

Stories of Eveの原型となった曲かなと思います。前に作られた曲を音ゲーという文脈から離れて、新たなアルバムのコンセプトに落とし込むという器用さはやっぱりすごいですね(Alt.Stratoにおけるfour leaves等既存2曲もアルバムコンセプトにぴったりでしたね!)

 

Endorfin.史上一番メルヘンでとびっきり明るい曲です!

 

3. ガラスアゲハ

 

「Nacollection!! 2」にて9曲目に収録された曲。Vocal、作詞はなくるさん名義。ちょうど2年前の冬に公開され、去年2019年のなごりんLiveでも披露されましたね。耽美で神秘的な曲です。ポップスかロック、EDM系統の楽曲が中心のえんどるの中では一際異彩を放っています。

 

なこれ2の時よりもオケ感?(重層感)が増してバックミュージックがクリアに聴こえるようになってのかな。Stories of Eve ver.の方が好きですね。ストリングスとピアノをベースにシックな曲になっています。サウンドが一つ一つ緻密に構成されていて、ほよ〜(驚嘆)って感じです。

 

ちょうちょをモチーフとした曲自体は「monochrome butterfly」とか「ユリシス」とかありますね。前者は女の子!って感じで、後者は結構悲愴的で象徴的に「蝶」が描かれているって感じですけど。ガラスアゲハは割と「ガラスアゲハ」という存在に対して細かく緻密に語る反面、結局それは何を表象しているのかが漠然としていて、この「私」とは何なのか...

 

まず1番でガラスアゲハのモチーフが呈示されます。

 

「知らず知らず 剥がれる憧憬 まき散らして」とは何を指しているのでしょうか。まき散らす主体はBメロの「ひらり舞う 華やかな鱗粉」を考慮するとガラスアゲハそのものですが、憧憬とは何の何に対する憧れなんですかね。「完璧なものの美しさに焦がれる」というBメロのフレーズがリンクすると思いますが、考えられる憧れの方向性として

 

人間(私を含む)→ガラスアゲハ(orそれが象徴する概念)

ガラスアゲハ→他者、何らかの観念

 

となるのかな。前者ガラスアゲハと私とを分離する方向性で、後者ガラスアゲハが仮託された私と見る方向性に近づきますね。その後の「行かないで」という台詞パートも上記の解釈によって視点が揺らぐことになります。

 

「自由を求めて彷徨うガラスアゲハ 無色透明な鎧をはためかせても 柔らかい翅は全てを包み込んで 受け入れるから 心の奥深くまで塞いで」

という1番サビはラスサビでも繰り返されますが、ここもまた解釈の余地が分かれるところであります。「無色透明な鎧」という堅牢さを印象付ける表現ですが、要素的にもガラスアゲハであるのは確定です。しかし、その後の「柔らかい翅」までガラスアゲハを対象とするのは早計です。

まず、鎧というモチーフと柔らかいという表現は相反すること、次にはためかせる鎧ということからこれ自体翅であり、その後に同じ表現をだぶらせる必要はないこと、「はためかせても」という譲歩表現の後も同じ主体(ガラスアゲハ)だとちぐはぐとした文面になることから、切り離して考える方がわかりやすいです。しかし、「翅」はあくまで蝶一般のことを指している以上、そのまま人間がガラスアゲハを仕留めて包み込んだという解釈は難しそうです。

さらに第一このアルバムのコンセプトがクリスマス・イブを過ごす少女たちの心情としている以上、この曲についても主体は人間であると考えるのが合理的です。すると「monochrome butterfly」の時のような女の子がイメージとしては一番しっくりくるのではないのでしょうか*1

 

完璧なものに対する憧れ、自分のものにするためガラスアゲハを仕留めた...というのが1番の流れですかね。「自由を求めて彷徨う」という表現とも一致しますね。

 

2番でも「綺麗なまま仕留めて 移り気なショーケースへ」とより如実に上述の展開を踏まえ、かつガラスアゲハが「標本」となったことを示唆します。2番サビで出てくる「」からも連想できます。「見上げる瞳には何も映らない」とは一種の憧れのように映った、ガラスアゲハの消失を意味し、あたかも幻だったかのようにその美しさが剥がれ落ち亡くなってしまったことを示唆します。

 

そして2番サビは1番とは全く違う趣になっています。

 

「涙を忘れる事に意味がなくとも 耐えられるから 光に透かして魅せて」という部分ですが、明らかに人間を主体としています。ガラスアゲハの体躯を如実に表す1番サビとは真逆です。哀しみそのものの感情を失うということでしょうか。「光に透かして魅せて」という文言からはガラスアゲハの存在が見え隠れします。「魅せて」となっているのも示唆的でガラスアゲハを見る側が主体となっています。

 

「見えないその距離は針が決めたもの」はピンで刺され標本となりショーケースという絶対的な仕切りを引かれてしまったガラスアゲハとそれを見る主体との距離を指しているのかな。

 

非常に茫漠とした内容ですが、これまであたかも第三者目線で語られていた中で最後に「目には見えない私を 見つけてくれた 君だけ」と「私」と「君」という登場人物が現れます。

 

素直に解釈すれば「目には見えない私」ということから透明で見えない私=ガラスアゲハと比定されましょう。前述の憧れの方向性における ガラスアゲハ→他者(君)とし、ガラスアゲハに私を仮託する見方に通じそうです。

 

しかし一方で1番サビなどのモチーフから人間(私を含む)→ガラスアゲハとして語られてきたのであり、統一性を重視すると「目には見えない私」という文言の意味がガラスという比喩とは異なる方向になります。むしろ鏡のようにガラスアゲハが私の姿を映し出したという話になります。

 

結局ガラスアゲハを自分と捉えるか、君と捉えるか、視点をガラスアゲハとするのか否かで世界観がかなり異なります。その揺らぎは具体的にガラスアゲハを仕留めた意義で表出することとなり、

 

完璧なものの美しさに焦がれ仕留め上げてしまったストーリー

何者かに仕留められて標本にされてしまい君と永遠に分断されてしまったストーリー

となるのかな。

 

鏡のように見るものによって姿を変える、そんな曲のように思えます。

 

なくるさん作詞ということで、Endorfin.の中では少ない作詞が分かってる曲ですので割と詳し目に書きました。ところで「行かないで」の部分切なそうで官能的でめっちゃ好きです

 

4. 終点前

 

ラストを飾る一曲。曲調的に最初聴いたときはえんどるらしくないなと思っていました。えんどる特有のあの爽やかさや疾走感はなく、ロック方面ですと「リフレクション」がありましたが、それとは全く違う重々しいギターサウンドが雪の様にのしかかっていく、そんな曲です。

 

とはいえ聴けば聴くほどこの曲の世界観に引き込まれていく、そして歌詞の内容はまさに王道Endorfin.を体現したもので、この曲が一番好きです。間違いなく。

 

この曲の特徴は変拍子にあります。Aメロは4拍子、Bメロサビは6拍子、Cメロは9拍子?、とやりたい放題って感じです。変拍子は割とデルタさん作曲にありがち(前述M: routine参照)だけど、ここまでやるとすごいですね... それでいて楽曲としては全く違和感なく成立しているのがいいです。ロ長調からト長調への転調もまたえんどるらしくて好きです。

 

そしてなくるさんの低音Voが非常に綺麗です。ビブラートもブレスの切り方も素敵ですね。可愛い声もちょっと大人っぽい声もだせるのって本当に器用だと思います。なくるさんの歌声の魅力ってこういった部分に集約されているんですよ。高級なチョコレートを口に転がした時、あの深みのある甘さ、繊細な柔らかさ、カカオのほろ苦い風味と同じ様に。だからなくるさんのどの曲にも不思議な深みがある(多分ブレスが大きいのだと思う)。初期の曲である「Lovin' me」にも、ちょっと浮ついて音程とれてない感はあるけど、なぜか一つ一つの歌声が質感をもって表現している。「ジョーカー・パレード」や「フェイク」のような大人っぽいカッコイイ曲も、「その名はRendezvous」や「Raindrop Caffé Latte」のような可愛い曲も、「君よ」のように熱情的な曲も、「Nier monochrome」のように切なさと幻想性が備わった曲も、何の小細工もなく深みのある歌声で伸びやかに表現できる、天賦の才だと思います。

そして全く押し付けがましくないんですよね。感情的でなくて、歌詞を丁寧に染め上げていく様に歌っている感じです。だから自然と聴く人の琴線に触れて色んな感情を抱かせられるのかな。

 

話を戻して「終点前」歌詞についてはEndorfin.らしい恋のもどかしさを綴った曲です。Alt.Stratoのテーマとも似ていますね。でもどこかAlt.Stratoの曲群は回顧的な要素を含みますが、この「終点前」は恋が現在進行形で表現されています。

 

特に引き合いに出されるモチーフについて述べていきます。

 

最初の「二年後なんてまだずっと先のことだと思っていた あの日と同じ景色 仄暗い道の途中」とはどうやらこのクリスマス・イブが3度目であることを示唆します。このお話の主人公は高校生かな? 伝えそびれたまま2年の時が経過して最後のクリスマスへ、そんなことが想起されます。

なおこの曲の2年前である2017年冬は、なこれ2が発表された時ですね。確かEndorfin.秋M3に新作が間に合わなかったんだっけ? 

 

「刻まれてく 別れのカウントダウン 神様は残酷だ」という1番Aメロの歌詞からも分かる通り、我々にはなすすべもない運命を与える存在として「神様」が現れます。これは「春風ファンタジア」でも見られる表現ですが、敵役として出てくるんですよね。セカイ系らしいなと思うのは私だけかな。

 

さらに2番Bメロでは気になる表現があります。

いつか映画で見た『全てのものはいつか終わりがくるから美しい』なんて 観測者の戯言

これ、Endorfin.の由来なんですよね。(End of fin) それを作品の裏側から穿ったようになっています。確かに終わりがあるからこそ今が尊く思える、精一杯生きていこうと思える、えんどるの背後にあるのもまさにそれなんですが、もう二度とないチャンスを前にその終わりを惜しむこの曲の主人公からしたら、本当に戯言、綺麗事なんですよね。「観測者」というのも、えんどるの由来というメタ的な要素だと暴露しています。

 

サビの歌詞は報われない恋の辛さが直截に歌われています。

「君の好きな音楽も お気に入りの服も 好きな人も 恋の痛みも 全部知ってるのに 未来のことだけは まだ何もわからないまま」

相手の趣味嗜好をすべて把握していたとしても未来はわからない、音楽や服など非常に具体的に描かれ知っている分、未来はわからないことが恋のもどかしさを加速させます。

 

終わりが訪れて欲しくないという切実な心情とは裏腹にどうすることもできないもどかしさ。それが「笑うたびに辛くて ああ いっそ嫌われてしまえるなら」と自暴自棄になったり、「もしも許されるなら 世界の果てまで」と願望を抱く、でも非情な現実は痛いほどわかっていて、叶わないことはわかっていて。寄る辺のない思いを募らせながら、電車は「僕らを終点へと運んでいく」 終点前、きっと数分にも満たないモーメントをうまく切り出しているなと感じます。

 

 

Endorfin.の一つの旅路の果てともいうべきアルバムがこの次に出ました。8th Album「Horizon Claire」はもしかしたら終点「前」を踏まえたのかもしれません。

 

 

 総括

 

聖夜に息づく、それぞれの物語」がテーマですが、確かにそれぞれ別個のストーリーが短編集のように編まれています。

最後に、「スノードーム」とその中で兎と白紙の本を読む女の子は一体何なのかという問題があります。ここからは完全に憶測ですが、2019 Endorfin.というタイトルのスノードームから察するに、「Stories of Eve (イブのお話)がスノードームという舞台装置の中に描かれ、観測者たる我々視聴者が一つ一つ並べられたスノードームを眺め、その理想化された世界に思いを馳せる」ということではないのでしょうか。そのスノードームの製作者としてのEndorfin.ということで。

でも一体この女の子は何者でしょうか。ストーリーテラーなのか、もしくはこのスノードームの中のお話の主人公なのか... 

 

割と自由に書きましたが、ここらにします! 本当にEndorfin.の楽曲は一つ一つ丁寧で大好きです。ほよ〜〜〜〜〜〜〜

 

 

 

 

 

双子座神話から見る『Gemini Syndrome』(歌: La Prière)の構成と各楽曲の感想

双子座神話をモチーフとしたCDアルバム『Gemini Syndrome』(歌: La Prière)について、楽曲の歌詞と双子座神話との関連性や相違点を考えつつ各楽曲の感想をつらつらと書いていこうかなと思います。

 

 

 

‘πάτερ Κρονίων, τίς δὴ λύσις 

ἔσσεται πενθέων; καὶ ἐμοὶ θάνατον σὺν τῷδ᾽ ἐπίτειλον, ἄναξ.
οἴχεται τιμὰ φίλων τατωμένῳ φωτί: παῦροι δ᾽ ἐν πόνῳ πιστοὶ βροτῶν
καμάτου μεταλαμβάνειν.’

「父クロニオンよ、わたしの悲しみはどうしたら解かれるのでしょう?わたしにも、彼とともに、死を命じて下さい、主よ。

友を奪われた者にはもう譽れも何もありはしない。艱難の中で、苦労を共にしてくれる信頼できる人間はわずかしかいないのです。」

 

ピンダロス (内田次信 訳)『ピンダロス/祝勝歌集・断片集』(西洋古典叢書) より「ネメア第10祝勝歌」 p304~05

 

la-priere.tumblr.com

 

 

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1.  双子座神話について

 

双子座神話は兄であるカストルの死と不死である弟のポルックスの昇天を題材としています。ただし、カストルポルックスの出自、カストルの死の原因やその後の双子の帰結については多少の相違があります。

 

ヒュギヌスの『ギリシャ神話集』では、双子の出自について、カストルはレーダーとテュンダレオスとの間に、ポルックスヘレネーと同じくゼウスの子とし、ポルックス自身はゼウスから星を受け取ったが、カストルには与えられなかったとしています。カストルの死の原因はポイベーとヒーラエイラをめぐるイーダース・リュンケウス兄弟との争いだとして、カストルがリュンケウスを殺し、イーダースが剣でカストルを殺し、そしてポルックスがイーダースを殺す。その後「ポリュデウケースは、自分の贈り物を兄弟と分かち合うことを許していただきたい」とゼウスに要求し、その結果、ウェルギリウスのアエネイスを引用し「自分が代わりに死ぬことにより、相手がよみがえる」こととなった、と書いています*1。ヒュギヌスの『天文詩』では、双子の友情の報いとしてユピテル(ゼウス)により星座とされた、としています*2

 

アポロドーロスの『ギリシャ神話』では、双子の出自についてはヒュギヌスと同じですが、カストルの死の原因について略奪した牛の分配を巡るイーダース・リュンケウス兄弟との争いとし、イーダースがカストルを殺し、ポルックスがリュンケウスを殺すものの、イーダースにより石を投げつけられポルックスは気絶、その後ゼウスの雷霆によってイーダースが殺され、そしてゼウスがポルックスを天上に連れ登った。だが、ポルックスは「カストールが死骸となっている間は不死を得ることを肯じなかったので、ゼウスは両人に一日おきに神々と人間の間にいることを許した」としています。*3

 

また、上記のローマ人作家以前にも、ホメロスの『オデュッセイア』では、双子はレーダーとテュンダレオスとの間に生まれたとされ、「ものみなに命を授ける大地が、生きながら二人を蔽っている。二人は地下にありながら、ゼウスから特権を与えられ、一日ごとに交る替る生きては死ぬことを繰り返す。二人は神々と同じ特権に与っているのだ」と伝えています。*4 最初に引用したピンダロスも「ネメア祝勝歌 10」にて、この双子神話に言及しています。

 

いずれにせよ双子の中カストルが死ぬこと、ポルックスがゼウスに嘆願することはどの神話においても変わらないですね。ポルックスはその不死を分かつことになりますが、その結果として天界と地上を交互に行き来するか、天界の星となるかという差異はあるものの、神たるゼウスにより報われている点では、どの神話でも軌を一にしているといえます。*5

 

2. Gemini Syndromeにおける神話の再解釈と構造

 

1.で確認したような神話の共通項-カストルの死、ポルックスの神への嘆願、そして救済-はGemini Syndromeでも変わらないです。

 

しかし、神話で示すようなイーダース・リュンケウス兄弟との争いは語られず、イーダース殺害といった復讐の要素も削ぎ落とされています。カストルの死から物語が始まるのです。

また、重要な転換として、カストルポルックスギリシャ神話には全く由来しない悪魔(カストル)と天使(ポルックス)に置き換え、善悪という人間内部にある倫理的判断を組み込むといった点があります。ただし、単純な正義と悪といった勧善懲悪の構図にもなっていません。

加えて、カストルと神の心情がポルックスのそれと同じように描かれている点も元の神話にはない要素です。双子の人間的要素、作品のキーワードである「祈り」が強調され、兄弟愛(姉妹愛?) の勝利という近代的価値観が押し出された形となっています。ストーリー上は双子座神話をなぞりつつも、キャラクター性や神話劇を構成する要素についてはギリシャ神話の世界観からは隔絶していますね。

 

・triune Castor

 

アルバムのプレリュード。意味としては三位一体のカストル? 今作の3人のことかな。

時計台の針が動くような音、そして物悲しげなハープの旋律と、次の曲のフレーズを歌うストリングスが星座の世界の神秘性を形成して優美な曲になってます。

 

 

・永訣のGemini

 

「誰にも語られぬ神話 破滅を歌えば 否めよ 永訣の宿命」

 

この衝撃的な歌詞で物語が始まり、双子、神の3つにパートに分かれそれぞれの心情、独白、世界観の呈示がなされています。

 

「天の采配」「罪」「罰」といったワードが神パートに見られますが、これこそギリシャ神話にも全く触れられていない部分です。ただ、何に対する「罪」であるかは明らかにされていないです。また、表象においては天使と悪魔であるものの、その性質は明らかになっていません。あくまで星座神話という一つの救済の物語が筋であるため、悪といったこれと矛盾する要素は排斥されたのかなと思います。そっちの方が感情移入しやすいですしね。

 

天使と悪魔のパートは、特にBメロにおける歌詞がそれぞれ対になっているところがあります。(例えば「たとえこの身が朽ち果てようと」(悪魔パート)「たとえ奈落に堕ち果てようと」(天使パート)) 対句を挟むことで、サビをより一段と盛り上げる効果を演出しているの、こういうトリプルボーカルの曲だからこそできる技ですよね。

 

なお天使パート自体も「純黒の翼 あなたにはそぐわない」「純白の翼 私にはそぐわない」と対となる表現があり、天使と悪魔の本作のキャラクター性が窺えます。この「科せられた約定」と双子を引き裂いた運命に対する悲哀と、堕ちた悪魔に対する救済を願う、そういった天使の姿が描かれています。ギリシャ神話では死んだカストルは何も語りませんが、この作品では死者でありつつもパートが割かれ、その苦しみが語られるなど、ストーリー上、双子間の関係は同列であることが強調されてますね。

 

アルバム全体を貫くテーマを呈示するもう一つのポイントとして、神と双子との関係性があります。双子が「祈りの歌」、「愛の旋律」を響かせることで神の慈悲を求める、そのような意味では神への嘆願と救済が描かれていますが、一方で不条理な現実と「天の采配」による裁きへの命を賭けた抵抗という神に対する叛逆も描かれています。

 

この点は「罪に罰を 救いの手を 相反する真実」という歌詞にも表現される通り、祈られる対象と裁きを与える主体を同一視することによる相反した神のイメージ、それに対する双子の心情の矛盾が表出されています。この矛盾の帰結は「自分が代わりに死ぬことにより、相手がよみがえる」、すなわち天使の不死性が消滅する(星となる)ことであり、二人とも生き返るという筋書きではないです。歌を紡ぐこと、祈ること、それ自体は近代的ですけど、その対価、「命灯」を差し出すことは生贄を媒介とし生命の復活を願う古代的儀式要素をかすかに醸し出しています。

 

曲の構成や進行は何年か前のelements gardenを想起させるようでめちゃくちゃエモいです。かそかそさん、ジャズ系の曲のイメージが強かったので、結構衝撃を受けました。AメロBメロサビ全てドラマチックに進行してこの1曲だけでもお腹いっぱいになってしまうほど、動機付けとしてはこれ以上ないくらい劇的で格好いいです。

 

何よりもいつきさんの作詞がすごい素敵で心を揺り動かされました。厨二病感満載ながらも分かたれた天使と悪魔の悲哀、恋慕を1番と2番で対句的に打ち出し、強力なワードと的確なパート分けで紡ぎ出していて、綺麗だなあって思います。難産だった理由もわかります。何より2番の歌詞が本当に心揺さぶられますよね。 

 

先だった悪魔を切なく、耽美に表現するnayutaさん、先立たれた天使の悲哀と恋慕に燃える魂をパワフルに表現するなくるさん、そしてキリッとした、ハイトーンボイスでこの曲の世界観全てを貫くロリ神様いつきさん、三者三様個性的でエモーショナルで素晴らしかったです。表現力に圧倒されてこの時点で泣いてました。

 

・君よ

 

天使ソロ、正直一番楽しみにしていた曲です! 作曲がRewriteなどで担当されてた塚越さんと聞いてめちゃくちゃ喜びました。ゴシック系の曲って、絶対なくるさんと相性ええやん、って勝手にいつかコラボないかなぁと期待してたら現実になりました。ありがとうございます。

 

電子音を混ぜたオペラ調の曲って感じです。この曲だけ、一人称我や古風な言い切りを用い、ギリシャ神話の武人的イメージが維持されているのかな。戦争を背景として失った「君」への哀悼を謳いあげます。

 

Aメロの1番と2番では「君」への語りかけで始まります。「運命に抗いし者よ」として「永訣のGemini」から引き継がれた宿命への対抗が繰り返されます。そして、彼らの世界とは「月さえも解らぬ」「数多 現し世の闇」であり、清く輝く「君」と明確な対比関係になっています。そして凄惨たる現実こそが彼らの克己心の源であるのかな?

 

Bメロの1番と2番

・「我はいざ行かん 両の手には 大地を焼く業火も この身焦がせはしない」(1番)

・「何故生まれた 無に帰すまで 燃やし尽くせ 今は 神の御許を目指せ」(2番)

から、己を焼き焦がすことのできない、戦火などの外部からの火、そして双子の奪還に燃える己の内部からの火(克己心)が対比されています。

 

そしてサビ1番、2番では「君」と「神」に対して呼びかけます。

・「あゝ、君よ 星となりて 愚かしさを憂うのだろう 尚も戦は続いてゆく」

・「あゝ、神よ 今一度の、今一度の慈悲をどうか 差し出そう 我がすべてを 望郷の彼方に 微笑むαγαπημένοι」*6

 

この曲全体を貫くのは「君」に対する追慕であり、「我」の独白です。穢れた世界に染まらず気高きままに、白きままに、無垢なる儘であってほしいという、悲哀に満ちた願いです。

 

そして感動をさらに深めるのが、なくるさんの清澄な歌声です。特に「君よ 君よ 君よ」のリフレインや2番の「我は今も未だ ここにいる」の突然のファルセットがドキってきます。ビブラートの使い方が上手くなったなあ、表現力が上がったなあと感じます。楽曲の魅力をさらに奥の深いところまで引き出されているので、そのパワーに圧倒されます。

 

荘厳なコーラス含めて格調高く、メッセージ性の高い曲です。fullを聞いて一番好きな曲です。

 

・鏡像のカノン

 

endorfin.の作曲のsky_deltaさんとnayutaさんの楽曲。雰囲気的にはえんどるの海月やコトノハに似てるかな?星屑のように美しい歌詞を一つ一つの意味内容を正確に、丁寧に、歌い紡ぐnayutaさん、本当に感動しました、、目の前に有り有りと星巡りの情景が浮かび上がります

 

切ないバラード系で自分が大好きなピアノ中心、2番のサビから入るギターサウンドが素敵、そして畳み掛けるように転調、えんどるらしさ全開って感じです。コーラスもしっかりと引き立てています。

 

「君よ」と同じく「君」に対する、つまり悪魔の天使に対する思慕を謳い上げています。タイトルの鏡像は双子を表しますが、同時に鏡で分かたれている以上触れることのできない存在であることの暗示であり、また、カノンは同じ旋律を異なる時点から開始する曲形式であり、同じことを思っているはずだがどこかずれてしまっている、そのような双子の心情を指しているのでしょうか。歌詞にある「光失くした影」は影、つまり悪魔を主体とし光(天使)を失った哀しみを示しています。光と影というモチーフは次曲「Atonement Twins」でも繰り返されます。

 

また、

・「宿命に この身差し出そう いつの日か 君に逢えるなら」(サビ部分)

から、宿命(采配 裁き)に対する悪魔の態度が見られ、

・「揺るぎない この想いでさえ いつの日か 塵に還るなら 此処に在ることの意味は何?」(2番サビ)

は上述の「君よ」の2番Bメロの歌詞との関連性をほのめかしています。

 

・Atonement Twins

  

神によるソロパートです。「贖いの双子」というわけで各所に原罪や罰といった内容や、逆に救済が編み込まれています。Feryquitousさんらしい複雑でポストモダンで、でも無機質な激情を孕んだ曲ですね。

 

かなり歌詞が複雑ですので誰視点かで考えます。すると、曲全体でその視点が揺らいでいることがわかります。「有限 欲するならば 与えよう」は、上記のギリシャ神話に共通するポルックスの不死を分かつという要素を踏まえた歌詞ですが、これは双子の願いに対する神の返答であり、神視点と解せられます。一方で「如何にして 私達の選択は 間違いじゃない筈だ」の私達は天使と悪魔であり、彼らの視点で語られてます。

さらに、この曲の中で繰り返される歌詞として「引き剥がされた双対は 光と陰 永久と分かつ どうか 一矢省みぬ罰で 水底の君を救い給へ」とありますが、救い給へという記述からこれも双子視点であると思われます。

 

また、「罰」で「救う」という矛盾した要素は前述の「永訣のGemini」を踏襲しています。全体として判然としない曲であるが、少なくとも神の視点を要素に入れていることから、「祈り」という儀式秘儀的なものを意識したものではないでしょうか。双子の慟哭たる「君よ」と「鏡像のカノン、双子の天界での再会を描く「それは世界を越えて」の空隙を埋める役割を果たしているのかな。

 

セリフ部分含め緊張感が冴え渡り、神の貫禄たっぷりないつきさんの歌いっぷりは、今までに無かったので新鮮でした。そういえば「永訣のGemini」も「それは世界を越えて」も神(=いつきさん)パートから始まるんですよね。夜空を劈くようないつきさんの声が、またこの物語の壮大な風景を想起させます。可愛い曲も格好いい曲(As you wish, My ladyのようなのも含め)も増えるといいなぁ

 

・それは世界を越えて

 

「永訣のGemini」と同じくトリプルボーカルであり、双子の祈りや願いが叶えられ、天界に輝く星々となる-双子座神話のクライマックスを飾る曲です。アルバム内のどの曲よりも歌詞が劇の台詞のようになっていて、独白ではなく双子・神との掛け合いを中心とした構成となっています。その関係性上、歌詞の引用を多くします。(便宜上神パートについてはイタリック)

 

楽曲の構成については、

・1番(AメロBメロサビ):主に悪魔と神 →以下(ⅰ)

・2番(AメロB’メロサビ):天使と神との掛け合い→以下(ⅱ)

・Cメロ、サビ、転調サビ:3者の掛け合い→以下(ⅲ)

・コーダ:全員による合唱→以下(ⅳ)と表記

 となっております。

 

まず(ⅰ)では悪魔(カストル)と神とのやりとりが描かれます。

 

Aメロでは、

「私の祈り もしそれが叶うのなら この声どうかあなたに届けばいいと思う」(悪魔パート)

限りなく心優しき悪魔の声」(神パート)

として、やはり「悪魔」とは単なるキャラ上の問題であることを示唆します。また、同じような構文が(ⅱ)でも表されます。

 

そしてサビでは、

「それが世界を越えて貴女に届くものと__ 」(悪魔パート)

それが只の空想だとして」(神パート)

「 _でも祈るなら! そう何も出来ないこんな私だけれど」(悪魔パート)

と折重なり、言葉でもなく、「祈り」こそが貴女に思いを伝える唯一の方法だとしています。それに反応するように

「あなたの祈りは届いているの」(天使パート)で1番は終わります。

 

一方、天使と神との掛け合いを描く(ⅱ)では(ⅰ)を踏襲しつつ、

声だけでは何も変えられない」(神パート)

とし、それに対して、

「声だけでなくもう一度貴女に逢いたい」(天使パート)

とその姿を要求します。それに対する神の返答

命堕とした悪魔に 如何にして逢えるものか__?」(神パート)に対し、

「この身の命が枷ならばそれさえも投げ捨ててもいい」(天使パート)

と答えます。

ここで双子座神話の核心たる「自分が代わりに死ぬことにより、相手がよみがえる」というモチーフが表出します。不死の肉体を棄てる覚悟が心に響きます。そしてサビ部分は1番と完全に対になっています。

 

祈る死者と願う生者、この用語の差異はわからないものの、(生者の方が多少俗っぽい感じはしますが。)対比構造がしっかりとしているので、頭にすっと話が入りやすいですね。

 

(ⅲ)ではこの天使の態度につき、

心優しき堕した悪魔に 全てを擲つ不死のものなど」(神パート)

とし、ここで天使(ポルックス)の不死性が神話から引用されています。対して、

 

「だからこそ希うのです! 希うのです!!」

 

との双子の力強い返答。この楽曲の盛り上がるポイントの一つです。

非科学的な「祈り」が前景化した例といえば、「Mother 2」が当たります。人間が極限状態に追い込まれた時、最後に残された倫理的態度こそが「祈り」なのでしょう。

 

これにより遂に

ならば今 その祈りを その願いを 聞き届けよう それが世界を越えて響かせるものならば」(神パート)

とする条件の提示を踏まえつつ双子の返答

「私たちの願い(祈り)はけして 終わらない」

そして、

__そうだ けして離れぬように 共に居るがいい」(神パート)

「いつまでも手を取り合って」(合唱)    

祈り(願い)が届き叶うこととなります。

「それが世界を越えて響く」の「それ」とは願い(祈り)を指しますが、具体的に響くという述語を入れていることから、「願い(祈り)を歌う」という要素が組み込まれていると思われます。まさにオルフェーオ等のオペラであるような、恋人に対する愛を歌うことで冥界の番人を説得するというプロットと類似した近代劇の定番がここで表出されます。「歌」の力は万能なんですね。

 

願い叶ってから、新たな要素が提示され、

「そう全ての祈りはけして無駄にならない」(悪魔パート) 

「それを聞くものが居る限りには__!」(合唱)

とし、「聞く他者」の存在を強調します。これは歌詞の文脈上双子の片割れを指すと解せますが、例えば神といった双子の外縁にいる存在(=我々星を眺める人間)も含まれるとの解釈も可能です。

 

最後の(ⅳ)では、3人全員による合唱であり、ナレーターのような視点に切り替わっています。「祈り願う 数多のおもい全て 聞き届ける 双子の星となって」からは、(ⅲ)の最後の「それを聞くもの」と繋がり、祈り願う主体たる双子から、それを聞く客体たる双子への転換が想起されます。*7

 

トリプルボーカル曲で歌詞も構成もしっかりとしていて物語の帰結、神に祈り願い、隣の星として天に昇るまでがミュージカルのように展開していて、5分半以上、壮大な曲です。 特に(ⅲ)のラスサビの転調、(ⅳ)のコーダが本当にクライマックスって感じで盛り上がります。まるで一つの神話が目の前で繰り広げられているように。

 

・Quand on prie la bonne étoile

 

この神話劇の最後を飾る曲。意味は「輝く星に願いをかければ」。豊かなピアノとストリングスの旋律で星巡りを表現しています。そして途中から「それは世界を越えて」のラストの旋律をストリングスが奏でながら一気に加速し、大団円へ。このアルバムが自分にとって初RD-Soundsさんでしたが、本当にはまりました。

 

最後に

 

コミケ始発で行けばよかった、、、(限定セット買えなかった勢) 自分は祈りの深さが足りなかったということで、、

歌詞カードも物凄くデザインが凝っていて見てて飽きないのも素敵ですよね。星座とか好きなので一瞬で心を持ってかれました💫 歌詞パートも色で分けられていて聞き取りやすい。

 

特にこの12月は双子座流星群で盛り上がったこともあり、結構タイムリーなアルバムなのかなって思います。1曲1曲の完成度がめっちゃ高いのでおすすめです。

 

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(歌ってる方々 虚無芸人 天然サイコパス 社畜ってマジ?)

*1:ヒュギヌス (松田治 青山照男 訳)『ギリシャ神話集』(講談社学術文庫) p.125~127 なお『アエネイス』引用部分は6巻 121行目

*2:ふたご座 http://www.kotenmon.com/hyginus/twin.htm

*3:アポロドーロス (高津春繁 訳)『ギリシャ神話』(岩波文庫) p.152 p.154~155 

*4:ホメロス (松平千秋 訳)『オデュッセイア <上>』(岩波文庫) 11歌 p. 291

*5:また参考としてTheoi Project DIOSKOUROI https://www.theoi.com/Ouranios/Dioskouroi.html

*6:αγαπημένοιだと主格男性複数系であり、単数系のαγαπημένοςの方がふさわしい。メロディーをはっきりさせるため敢えて母音で終わる複数系を選択したか。なお、agaméniと発音しているとしか聞き取れず、これに値するギリシャ語は不明。

*7:なお歌詞カードには記載されていないが、仏語詩が語られている。Tu t’entends toute (la) prièreだと思われる。

Endorfin. 8th Album Horizon Claire の雑感

Endorfin. 8th album 「Horizon Claire」の雑感です。Horizon noteで知った人間からしたらそのアンサーアルバムが出るのは本当に嬉しい限りです。Endorfin.に出逢ってから、同人イベントへ参加するようになったんだなって。(実は2年前と最近なんですが) ティザームービーが公開されて、ああ「節目」なんだなって思い起こしてくれるようなタイトルです。

 

ジャケットの風景もHorizon noteそのまま、紙吹雪を飛ばしている姿はどこか象徴的ですよね。Horizon noteは中心に噴水が描かれていますが、今回は鐘🔔。新たな始まりを告げるってことかな。天を仰ぐ姿は遠い過去や未来に思いを託しているようです。

 

死ぬ日まで天を仰ぎ、一点の恥じ入ることもないことを、葉あいにおきる風にさえ、私は思い煩った。星を歌う心で、すべての絶え入るものをいとおしまねば、そして私に与えられた道を、歩いていかねば。

 今夜も星がかすれて泣いている

 

『空と風と星と詩』 尹東柱 (金時鐘 訳)

 

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1.   残光

 

「一粒ノ今」のように全編台詞パートの曲です。今作のintroductionって感じですね!

 

「歩く 歩く」「廻る 廻る」催眠音声のようなリフレインを踏まえながらどこかの「君」を、その残光を探し求める、神秘的な曲です。

 

「春に夢を見て」

→3rd. Raindrop caffé latte(春風ファンタジア)

「夏の切なさと」

→4th. Alt.Strato

「秋の温もりと」

→5th. 純情ティータイム

「冬の静けさ」

→7th. Stories of Eve

 

各季節で描かれた世界観が再度呈示され、「季節は巡り、またこの場所へ」。いよいよ君への追慕の旅も終わりか、そう考えるとStories of Eveの最後を飾る曲が「終点前」というのはこのアルバムの伏線だったのでしょうね。そんなことを意識してしまう。

 

「変わってしまったのはこの場所か それとも」かつてと違って見えるのは、何か大切な人と過ごした記憶が結びついて場所というのは存在しているから。その人を見失った今、色褪せて見えることもありましょう。建物も道路も、かつてと変わらなくても。そして大人になるにつれて、過ごした世界がちっぽけな箱庭に見えてしまう。自分が変わってしまうことで失うものもあるのかな。

 

Horizon noteから4年、万感の思いを込めたあてのない旅路の果てに何が待っているのか。幾多の星々を廻り、巡り続けた先、まるで秒速5センチメートルの様な世界観、その終幕が始まる。


2. ミントブルーガール

 

Endorfin.の初期を彷彿とさせる、海を背景とした爽やかな曲です!イントロ部分のリフレインも気持ちいい、、、スキップしたくなるような曲調

 

特になくるさんの声の表現の幅が広い!Aメロの跳ねるような可愛らしい歌い方、落ちサビの甘酸っぱく切ない歌い方、1曲の中にこれだけ魅力がぎゅっと詰まっていてこれだけでお腹いっぱいになってしまう。

 

「はじまりの予感」えんどるの始まりであるHorizon noteのジャケットに描かれた風景と同じ街かな。「風にのってふわり どこまでも」horizon noteのキャッチコピーと同じく「ミントブルーの帆風」にのって境界線の向こうまで。時が巻き戻ったような感じですね。そして風のイメージは「君」の残り香を意識させます(桜色プリズム)

 

「綺麗なままで終わりたい」「最高の今を生きていたい 魔法解けるまで」刹那的でえんどるらしい終末の美学はそのままに、炭酸水を飲み干した時のあの泡が口いっぱい広がって消えてゆくような。明るさと切なさがいい塩梅で混在している、そんな曲ですね。

 


3. floating outsider

 

「何処へfloating, outsider」が印象的な曲。

 

多分このアルバムで一番歌詞が難解? 「不溶性の僕」を主体として、自分だけが世界の意思(水の中)に組み込まれず(溶けず)、また「僕の空白」=何者になるかわからない未来をバイナリ(2進数)たる世界が乖離させ、今のまま自分を固定化させる(それが「影を照らす」ことかな)。そんな「汚れた水槽」でもがき苦しむような曲ですかね。

 

「誰かの波長」をなぞることでこの苦しみから逃れる、その誰かとは一体... 「君」だとしたら僕と同じく不溶性なのかもしれません。

シャーデンフロイデ」はまさしくこの世界そのものでもあり、同時にこの僕でもあるんですかね。世界から浮いてる、苦しんでるなんて馬鹿な奴だな的な

 

曲調はLOST IDEAの「ユリシス」に似てるかな。なくるさんの歌い方もそれに近い。

ラスサビ前のピアノパートがすごく綺麗。えんどるの楽曲ピアノの旋律をあざとく使ってくるから本当最高 神

 


4. innocent truth

 

待望のfull!音ゲー歓喜! dispelの時もそうだけどfullになってさらに化ける曲すごくないか??

 

「祈りは絶望を映し出すmirror」「希望は絶望を映し出す未来」中々強いワードが並んで最高にカッコいい。明=暗という構造、希望を持つためにはその分絶望を知らねばならないというスタンスですかね。現実から離れた理想家なぞ存在しない的な。「生を受け咲いた花はいつもその意味も知らない」=花を咲かせるためにはその分の生を吸い取る(つまり他を枯らす)ことが必然であるけど、何もわかっていない(生存者バイアスのような) 花のように無垢なる真実ではなく、剥き出しの真実を掴んで進め!てことでしょうか。

 

「誓い」という要素を噛ませるあたり、この曲もLOST IDEAのLΦST IDEAやdispelを意識しているのかな。Luminous Rageから続くかっこいいえんどるの軌跡が見られます。

 

全盛期のI’ve(PSI Missingとか)のような、あの頃のアニソンを彷彿とさせます。特にBメロの重厚感が禁書目録のOP等を想起させます。何だか懐かしい記憶を呼び覚ますような曲だなって思いました。昔、horizon noteの時かな?fripsideやI'veが好きな人やエロゲソングが好きな人はendorfin.にハマるって言ってた方がいましたけど、まさにそれですね。ただ音ゲーらしい疾走感もバリバリ生かされていて、聴き終わった時のカタルシスはアルバムの中でも随一。endorfin.が愛される所以ですね。

 

ライブとかで絶対に盛り上がる(確信)

 


5. Fatalism

 

えんどるEDM!えんどるのEDMってアルバムにはあまり収録されてないけど、MEGAREXなどによく楽曲提供されてますもんね。確かかなり前の曲だったっけ。サビ前のアレンジがすごいお洒落で印象に残ってた曲でした。まさかこのアルバムでまた巡り合うなんて、、、今までEDMに苦手意識のあったんですけど、デルタさん作曲の楽曲で段々と良さがわかってきたような


6. 彗星のパラソル

 

クロスフェードで聴いてて非常に好きになった曲。正直このアルバムで一番好きって言っても過言ではないほど、心にグッときました。

 

four leavesにかなり似ているなというのが第一印象。そういえばAlt.Stratoの前の曲でしたよね。彗星のパラソルも同じく表題曲の前。「言葉にすれば消えてしまいそうなくらい 不明瞭な僕」「曖昧な世界」(four leaves より)は彗星のパラソルにも繋がるのでは? そして天体をモチーフとするのはhorizon noteのspicaに通づるものがあります。

 

何にもなれないままで消えてしまうのがただ怖くて」ある種モラトリアムを彷徨う私のような人間には本当にグッ刺さる歌詞です。幼い日への憧憬、まだ何にでもなれると思っていた頃の自分、そして現実には何者にもなれなかった。成長すると単純なことさえも忘れてしまう。

届かないものほど 涙が出るほど愛しい」失った挙句何にもなれなかった不甲斐ない自分に慟哭する。彗星、お前も私と同じく孤独なのか、と。

 

青年期の苦しみを天体に託した好きな詩があって、それを思い出しました。

 

いずこへ行けばいいのか。東がどこで、西は、南は、北はどこなのか。おっとっと! ちらっと星が流れる。隕石が墜ちたところがどうやら私の行くべきところのようだ。そうだとすれば隕石よ! 墜ちるべきところへ、必ず墜ちてくれなくてはならない。

「隕石の墜ちたところ」尹東柱  (金時鐘 訳)

 


7. Horizon Claire

 

Horizon noteのアンサーソング。1stアルバムから4年間紡いできた旅路がここに集約されています。

 

他の方の指摘でもあったように今までのえんどるの楽曲がモチーフとなってるのかな。

 

・「鼻先を掠めた記憶を纏う春風」

→春風ファンタジア「頬を掠める春風がどこか懐かしくて振り向いた 」

 ここでも風が君を思い出すトリガーとなってる?

 

・「言葉だけじゃ埋められない その温度で」

→桜色プリズム「言葉じゃ言い表せない だからこそSingin' 」

→four leaves「忘れないように歌い続けよう」

と繋がり今までのえんどるの楽曲を踏まえているのかなって感じがしました。

 

何よりHorizon noteとの対比として

 

・「いつまでも君の隣じゃいられないよね」

→「隣寄り添える私になれたのかな」へ、

・「もういちど君の隣で笑えるなら」

→「キミが微笑んで そしたら笑い返すから」

という一歩踏み出した形になり、4年という歳月の中での変化を印象付けます。

 

・「変わってゆくもの 変わらないもの 季節巡っても 解けた糸はまあ結いなおせばいい」

→各アルバムで繰り返された君に対する自己逡巡の答えが出されます。バラバラになったものもいつかは元どおりになる。茫漠としててもいい、思いを結晶化しなくても、その「形ない想い」こそが君への手がかりだったんですね。

 

楽曲の構成ですが、伸びやかなサビのメロディと軽快なBメロとの対比がものすごくうまい。「white night story」でもそうですが、えんどるはBメロが本当に素敵。楽曲のイメージをより深く掘り下げ、複雑さを織り込んでいく。そしてサビをわっと際立たせるところがにくいですね。

 

そしてこの曲を起点として止まった物語が再度紡がれていく。新たな旅路の始まりを予感させます。

 

自分がHorizon noteを最初に聴いた時の感動、あのなくるさんのファルセットの美しさが、そしてえんどるを追いかけ続けた季節が、メガ博で初めてendorfin.のライブを見たときの胸の鼓動が、心斎橋を小躍りしながら帰ったあの時が、全てが走馬灯のように駆け巡りました。「記憶の端で」「いつかの音」が、ずっと響いています。

 

総括

endorfin.の楽曲に出てくる「キミ」とは何者でしょうか。夏と冬のアルバムでは多分結ばれなかった恋人ないし大切な誰かだと思われます。Alt.Stratoは幼少期を描く「Cornus Florida」、青少年期のもどかしさを描く「リフレクション」、伝えられない恋心を花火に託した「泡沫の灯火」そして今作の「彗星のパラソル」で意識されているであろう「four leaves」、もうあの時には戻れない、残酷な現実と残ってしまった君への恋心を歌う表題曲「Alt.Strato」で構成され、どの曲も明確な記憶の中の他者を意識しています。またStories of Eveの「終点前」でも、「君」の趣味嗜好が書かれ、明確な他者の存在を意識しています。

 

だけど、もしかしたら今作は「決別してしまった自分自身」が「キミ」かもしれません。

 

何かを決断するためには過去の自分を裏切ることもある。夢を諦めることで夢を追いかけ続けたかつての自分に背を向ける。もしその決断が正しいならまだしも、間違いだったら?過去だけが未来を裁けるのであって、未来は過去を裁き得ない。過去の自分に後ろ指を指されることになる。それに対する倫理的態度が、自分を過去への憧憬に苛まれ孤独になった自分を責め立てる。

 

思えば先ほど挙げたendorfin.の楽曲って「出来事が起こった後」なんですよ。回顧的に当時を振るかえって自分を慰めるか、諦めるか、責め立てるか、宛先のない手紙を書くようにその感情を歌う。例えば「Horizon note」は開口一番「君はどんな色を見てるの? その瞳はどんな僕映しているのかな」。過去に何か二人の間に起こったことを強く示唆します。そして君といたい、何度も言葉で繰り返しているのに、肝心の君は目の前にいない、いたとしても君には伝えられない、終いには一緒に居たくない。そんなもどかしさの中で逡巡しています。

 

ある意味そういう自分への決別こそがこの旅路の終着点なのでしょう。その結果としてもしかしたら・・・思い人たる「君」と出会い、過去の自分である「君」に報いることができる。「時を越えてまたここで巡り逢う」とはそういう意味を含んでいるのではないでしょうか。

 

でもそういう嘘偽りなく真っ直ぐに、言葉を紡ぐ態度がendorfin.の良さでもあるんですよね。女々しいと思われるかもしれないけれど、ものすごく倫理的で、正直で。誰でも過去の自分を振り返ることはあると思います。今と比べたら何もかも輝いていたのかもしれません。今の自分に違和感や劣等感を感じるかもしれません。でも過去は書き換えられないし、今を必死に生きなければ暗澹たる人生のまま。そういった割り切ることのできない思いを丁寧に拾い上げていく。それがendorfin.なのかなと。

 

そんな歌詞とともに鮮やかなサウンドと、甘々で聞く人の心の色を滲ませ掬い上げる、そんななくるさんの歌声で表現されたendorfin.の作品。押し付けがましくもなく、完全に悲観的であるわけでもなく、ただ色々な記憶を背負った我々の琴線に触れ、あるがままに肯定させてくれる。そんなえんどるが本当に大好きです。

 

 

Ce qui n’est pas 'claire', n’est pas L’endorfin!

 

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カルペ・ディエムの元ネタとか

「風が連れてくるよ カルペディエム」(bloomy! アルストロメリア)

 

カルペディエム(carpe diem)とは「今日という花を摘め」というラテン語の名文句です。ホラティウス『カルミナ』第1巻11歌が元ネタです。

 

原詩はこちら

 

Tu ne quaesieris, scire nefas, quem mihi, quem tibi
finem di dederint, Leuconoe, nec Babylonios
temptaris numeros. ut melius, quidquid erit, pati.
seu pluris hiemes seu tribuit Iuppiter ultimam,
quae nunc oppositis debilitat pumicibus mare
Tyrrhenum. Sapias, vina liques et spatio brevi
spem longam reseces. dum loquimur, fugerit invida
aetas: carpe diem, quam minimum credula postero.

 

 

wikiにあった英訳も貼り付けておきます。J. Coningtonによるものです。

 

Ask not ('tis forbidden knowledge), what our destined term of years,
Mine and yours; nor scan the tables of your Babylonish seers.
Better far to bear the future, my Leuconoe, like the past,
Whether Jove has many winters yet to give, or this our last;
This, that makes the Tyrrhene billows spend their strength against the shore.
Strain your wine and prove your wisdom; life is short; should hope be more?
In the moment of our talking, envious time has ebb'd away.
Seize the present; trust tomorrow e'en as little as you may.

 

こっちもまたwikiより。直訳風かな?

 

You should not ask, it is unholy to know, for me or for you
what end the gods have given, O Leuconoe, nor Babylonian
calculations attempt. How much better it is whatever will be to endure,
whether more winters Jupiter has allotted or the last,
which now weakens against opposing rocks the sea
Tyrrhenian: be wise, strain your wines, and because of brief life
cut short long-term hopes. While we are speaking, envious will have fled
a lifetime: seize the day, as little as possible trusting the future.

 

などなど。実際ラテン語の詩って語順がかなりごちゃごちゃしているため、正確な訳を入れるのは無理そう。ラテン語は中世のやつしか殆ど触れたことがないので、あんま変なことは言えないんですけど、scire nefasの訳出とか英訳でも難しそう(小並感)

 

特にcarpe<carpoの訳出だけどseize(掴む)となっています。「今日を掴め」っていいですよね。勿論carpoには花や果物を掴むという意味合いが込められているから「今日という花を摘め」っていうのもかっこいいですよね。

 

 なお日本語訳としては鈴木一郎氏のものがあります。(『ホラティウス全集』p.309~310)

 

尋ねるなかれ、知ることは

不可能だから、レウコノエ。

天なる神が、君や僕に

どういう結末を与えるかは、

わからないのだ。バビロンの

占星術にも手を出すな。

ものごとは皆、成り行きに

任せるがいい。ユピテル

多くの冬をもたらしたし、

今年の冬もやって来て、

テュレニア海に対置する

海辺の(軽石)でその波を

静めてくれることだろう。

頭を使え、ワインでも

絞っているんだ。人生は

短い。大きな望みなど

捨ててしまった方がいい。

こうして喋っている中にも

容赦なく、時は過ぎて行く。

この日を楽しめ。明日の日は

どうなることか分からぬから。

 

簡潔で綺麗な訳出だなあって思います。 quam minimum credula posteroのcredula(信用するような)の部分をきっぱり分からないと訳出されてたり全体的に日本語として変になるところは割り切って簡単な語にするのが詩ではリズム的に大事なのかな。

 

アルストロメリアのbloomy!だけど「風」というモチーフはこの詩ともかぶるかな。ユピテルがもたらした云々のところとか。でも元ネタのホラティウスの詩では季節は冬、bloomy!とは季節感が若干違うんですよね。冬を乗り越えた先のbloomyとして考えると原詩とbloomy!とかなり重なるのでは?とも感じます。

他のアルストロメリアの曲もこのような言葉遊びや西洋文学由来の元ネタが存在するので調べたりすると面白いですよね。

 

 

半年ぶりの更新

気がついたら最後のブログ更新から半年以上経ってますね。これ。

 

確かメガ博帰りの新幹線とかでちまちま書いていたんだっけな。よくLΦST-IDEA聴いて

いた頃だ。大阪まで行って、お目当てだったendorfin.の生歌聴けて、時が過ぎるのが惜

しいくらい濃密な40分間で。Horizon note、raindrop caffe latte、桜色プリズム、などな

どのオンパレードで会場は多いに盛り上がった。人の少ない心斎橋を小躍りしながらハ

ンバーグ店に寄って、そして予約してた北浜のホテルに向かったんだった。

 

のちにライブの様子をレポートとイラストをツイッターに上げてる方がいらっしゃっ

た。自分が見た景色と同じだった。可愛らしいCDジャケットのキャラクターが、その

時の衣装を身にまとったイラスト。色々な都合で、キャラクターにその姿を仮託したの

だろう。

 

ただ私にはまさしくそのキャラが目の前で歌っていた。2次元と3次元は違うというだろ

う。そうであっても私が見たのは彼女だったと思う。そう思いたい。

 

自分は絵が描けなくて、ライブの様子も具に記憶しているわけでもなくて、その時の感

情を克明に書き現わすこともできない。細かいところまでは覚えておく必要もそこまで

ないような、そんな気もするけど、言葉にしなければ、記録しなければ、その事実も付

随する諸々の評価も、時間の渦に飲み込まれて消えてしまう。

 

我々が歴史史料を読んだとき、たとい言葉の意味がわかったとしても、理解できないこ

とは山ほどある。その時代特有の価値観や表現など近代の合理主義とは相容れない部分

はどうしてもよくわからない。合理性から外れた事象は、合理性に基づく近代文法では

書ききれないだろう。

せめて何を歌ったか、進行はどうだったか、は書けるとしても、それを超えた核心部

分、自分の目に映った景色はどうあがいても無理だ。このブログと同じように、随分と

意味不明なことを記しているだけになってしまう。

 

ライブ帰りの私はこんな感じだった。その時々考えたことを克明に記録すれば、少なく

ともその時の感情にけりをつけられる、供養できると思っていた。しかし実際にはこと

ばにすること自体、自分自身にとって限界がある。ネタはたくさんある、でもその後ろ

めたさが尾を引く。

もちろん自意識過剰かもしれない。自分に酔っているだけかもしれない。しかし、よく

現実を見据えるには、徹底して自己中心的にならなければならないだろう。強烈な自己

意識こそ、西洋哲学を貫いた原理の一つでもあり、隠者の知恵ではなかったのでは? 逆

に自己意識がない人とは何なのであろう。

ライブの時、その後の感情に真摯に向き合って何らかの意味を見出すために、記憶を呼

び覚まして、それを客観的に評価、批判して。そのこと自体に意味があるのかどうかは

今もわからない。

 

ネガティブ?なことを考えながらもう冬が近づいていて、改めて色々楽曲の感想を書こ

うかどうか、迷っている最中で。音楽理論をしっかりと勉強すれば、少しはまともなの

は書けるのだろうか。

 

そんなことを考えていると、FANZAとかDLsiteのレビューって書いている方々って本当

に素晴らしくて、尊敬するよね。他の通販サイトよりも圧倒的に質がいいし。

 

まあ好きなことにはまっすぐでいたいのは確かだから、「悩んでいるよりも好きなこと

語れ」って感じ。